蜀犬 日に吠ゆ

2009-06-05

[][][][]公冶長第五を読む(その5) 20:49 はてなブックマーク - 公冶長第五を読む(その5) - 蜀犬 日に吠ゆ

吾に従うものは其れ由なるか

 公冶長第五(93~119)

98 子曰。道不行。乗桴浮海。従我者其由与。子路聞之喜。子曰。由也好勇過我。無所取材。

(訓)子曰く、道行われず。桴(いかだ)に乗りて海に浮かばん。我に従う者は其れ由なるか。子路、これを聞いて喜ぶ。子曰く、由や勇を好むこと我に過ぐ。材(よろしき)を取る所なし。

(新)孔子曰く、この世の中は絶望だな。筏に乗って海へこぎ出そうか。ついてくる者は由ひとりかな。子路がそれを聞いて威張りだした。子曰く、由の向こう見ずなのは私以上だ。適度に立ち止まることを知らない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 威張りだした、という解釈はいかにも子路みたいで楽しい。 


「由よ、勇ましいことを好きなのはわたくし以上だが、さていかだの材料はどこにも得られない。」

金谷治『論語』岩波文庫

*いかだの材料は……――わざと戯れて子路の無分別をたしなめた。新注では、「材」を「裁」と同じにみて、「道理をとりはかることがない。」と直接に子路の無分別をのべたとする。

金谷治『論語』岩波文庫

 私としては、「自分がいなくなった後の子路の暴走を恐れて、ともに海に沈もうとした」という説が大好きなのですが、これは誰の説でしたっけ? この解釈だと「無所取材」が「私のところを除いて、お前の才能を生かすことができる場所はないのだよ」という孔子の溺愛が感じられるようになります。