蜀犬 日に吠ゆ

2009-06-08

[][][]過去に生きる才女~~高島俊男『メルヘンの誕生』いそっぷ社 21:39 はてなブックマーク - 過去に生きる才女~~高島俊男『メルヘンの誕生』いそっぷ社 - 蜀犬 日に吠ゆ

 向田邦子論。もちろん、向田邦子に興味があったわけではなくて高島先生の著作だったので読みました。別に本当に向田邦子に興味がないわけではないのですが、興味があったら普通、向田邦子の本を読みますよね。しかし私は向田邦子の随筆も小説も彼女が脚本を書いたラジオ・テレビ作品も、一つも知らない。

メルヘン誕生―向田邦子をさがして

メルヘン誕生―向田邦子をさがして

 この本は、向田邦子がエッセイストとして名を挙げた『銀座百点』という随筆集と、連作短編『思い出トランプ』を中心として向田邦子の作家生活を綴ったものです。銀座百点は『父の詫び状』として単行本化され、私はこちらの名前だけは知っています。


第一章 湯タンポのぬくもり

第二章 メルヘン誕生

第三章 潰れた鶴

第四章 思い出トランプ

第五章 ドラマと活字

第六章 死への失踪

高島俊男『メルヘンの誕生』いそっぷ社

 前半は、メルヘンの誕生について。

 標題『メルヘンの誕生』とは、向田邦子が雑誌の連載「銀座百点」で描きだした子供の頃の思い出が、読者の幻想と呼応して「古きよき昭和10年代」をつくりだしてゆくことを表しています。

 家族のなかで一人だけはたらいていて――つまり収入を得るしごとをしていて、家族全員を食わしている。とりもなおさず、一家の生存を双肩にになっている。だからいばっている。こどもをどなりつけることもあるしひっぱたくこともある。だから「お父さんにいいつけますよ」と言われるとこどもたちはふるえあがる。

 こどもたちを愛してはいるのだが、その表現ははなはだぶっきらぼうであるから、こどもにはつうじない。おとなになってからやっとわかる。

 そういう一番ふつうの父親像は、従来の文学作品に出てこなかった。それはそのはずで、そんなありきたりの人物では文学作品にならない。それが日本の文学の常識だった。いくじなしで人にだまされたばかりいるとか、大酒飲みで妻子をほうり出してほれた女に入れあげるとか、そういうまともでない男であってはじめて文学作品の登場人物たる資格がある。

 ところが向田邦子の食べもの随筆は食べものが主役なのだから、人物はなにも特異な人物である必要はない。まじめに働き、家族を守り、妻や子に弱みを見せず、無口で威厳があってこわい。そういうありきたりの父親でじゅうぶんである。

 ところが戦後三十年たってみると、そういう典型的な父親があまり見あたらなくなってきていた。それがまたさいわいした。

 それで、多くの読者が、自分の父親にそっくりだ、と思ったのである。食べもの話の添え役であっても、さすがに向田邦子の筆は、典型的な父親像を的確に、鮮明にとらえていたのだ。

高島俊男『メルヘンの誕生』いそっぷ社

 実際には向田邦子の父は徴兵保険会社の支店長をつとめた高収入のサラリーマンだったので、典型的とは言えなかったのですが、向田邦子がそういう部分(夏目漱石全集のある家はそうそうなかったはず)をあえて無視して、暴君として描いた父親像がウケたということらしいです。


 後半は、向田邦子の……

 ……「客観的に見れば、向田邦子はまちがいなく成功した人だった。しかし当人は、毎日、敗北者だった。そして最後は、敗北者らしく、りっぱに玉砕した。」

 『小説新潮』に連載した連作短編小説『思い出トランプ』を中心に、幸福な少女時代を過ぎて、ふつうは脚本家・エッセイスト・小説家(直木賞作家)の話をするところを、「失われた未来」の話をします。

 向田邦子の随筆は、多分にファンタジーが含まれていて、逆に小説は事実がちりばめられているのだそうです。

 つまり『銀座百点』連載――本の題でいえば『父の詫び状』――は、大情況(たとえば、父が死んだ)は事実で、小情況(母が父の顔に豆絞りの手拭いをかけた)はかなりの虚構がある。

 これを逆にして、大情況は虚構、小情況に事実、あるいは真実を書けば小説になるわけである。虚構の大情況をかまえるのは、テレビドラマ作家にとっては、いともたやすいことだろう。

高島俊男『メルヘンの誕生』いそっぷ社

 そうして『思い出トランプ』には、向田邦子のひりひりするような現実が反映されます。

 しかし、

 漱石も、向田邦子も、中年になってから自分のことを文章に書きはじめた。

 漱石は知人のやっている俳句雑誌に『吾輩は猫である』の第一回――当初はその一回のみでおしまいのつもりであった――を書いた。これが、書いた当人はじめだれも思ってみなかったほとの大成功で、読者の歓迎と要望にひっぱられてえんえんとつづいた。これは、苦悩する自己の一面とはなんらあいかかわらぬ、もっぱら別な一面、世俗を超越した飄逸な精神と生活とを書いたものだった。つづいて、直情径行で江戸っ子気質の一面を誇張した『坊つちやん』を書いた。当人にとっては、自己の内面のどす黒い不吉な塊とは風馬牛の、あきたらない作であったろうが、結果として見ればこれが生涯に書いた最良の作品となった(『夢十夜』や『硝子戸の中』の一部などの断片的なものをのぞけば)。

 もっとも、漱石自身は、のちの作、とくに『それから』以後の作において、血をしたたらせている。しかし作者が血をしたたらせていればよい作だと判定するのはのちの批評家のあさはかな了簡で、世は血をしたたらせた出来のわるい作品の多きにたえぬのである。

 向田邦子は、商店街のPR誌に、食べものにまつわるこどものころの思い出ばなしを書きはじめた。これが思いがけぬ大成功で、当初六回の予定が二十四回もつづき、読者の期待にひっぱられて、昭和十年代のメルヘンに大成した。PR誌のかるいよみものでありさらにメルヘンになったゆえに、もとよりなまなましい自己を語ることはできず、そこに登場する彼女自身は、その幼いおりの可愛い一面、繊細な感受性をそなえた聰明な女の子であるにすぎない。しかしこれが、彼女がその五十年余の生涯に書いた最良の作品となった。

 漱石は『吾輩は猫である』『坊つちやん』のあとまだ十年の時間があったが、向田邦子は『銀座百点』の連載を書きおわったあと、たったの三年しか生きなかった。たったの三年にしては書いたものは多いが、『父の詫び状』をこえるものはない。

 向田邦子は、小説のなかで、虚構をかりてありのままの自己を語ろうとしたが、それは不可能、すくなくとも非常に困難であることが、書きはじめてすぐにわかった。二十篇ほど小説の多くは、こざかしいだけで底の浅いものである。成功した作もあるが、それは自己を語ったものではない。むしろ向田邦子は、最も失敗した作のなかで血をしたたらせている。


 向田邦子に、ふりはらってもまとわりつづけた悔恨とは何だったのか。

 彼女の書いたものを読むかぎり、それは、結婚しなかったこと、家庭を持たなかったことである。

高島俊男『メルヘンの誕生』いそっぷ社

 その、性格も素質も才気や感情の動きかたもふくめた、持ってうまれたものの全体が、人のめったにできないことをやすやすとやってのけると同時に、なんでもないものを全部とりにがすようにはたらいた。現に全部とりにがして、こうやっってひとりとりのこされてみれば、やはりそれが必然なのであった。

 あの時おとなしく、ふつうの道を歩いていたらよかった、というのではない。あれもほしいこれもほしいの欲ばりなのでもない。

 これでよかったはずなのである。さびしさが栄光である道を自分はえらんだのだから。そして成功し、頂点をきわめたのだから。

 しかし、「行ってきます」の元気な声と風にひるがえる洗濯物に勝てない。手のとどかなかったものではなく、いつでも手にはいるはずのものだったから、勝てない。こどもたちの声は凱歌であり、風にひるがえる洗濯物は勝利の旗である。

高島俊男『メルヘンの誕生』いそっぷ社

 そして台湾への航路上で事故。


 私はもちろん、向田さんにたいするなんらの思い入れもないので、高島節をたっぷり楽しみました。