蜀犬 日に吠ゆ

2009-06-15

[][][][]公冶長第五を読む(その7) 20:49 はてなブックマーク - 公冶長第五を読む(その7) - 蜀犬 日に吠ゆ

一を聞いて以て十を知る

 公冶長第五(93~119)

100 子謂子貢曰。女与回也孰愈。対曰。賜也何敢望回。回也聞一以知十。賜也聞一以知二。子曰。弗如也。吾与女弗如也。

(訓)子、子貢に謂いて曰く、女(なんじ)と回と孰(いず)れか愈(まさ)れる。対えて曰く、賜や、何ぞ敢て回を望まん。回や、一を聞いて以て十を知る。賜や、一を聞いて以て二を知るのみ。子曰く、如かざるなり。吾れ女と与に如かざるなり。

(新)孔子が子貢に言った。お前と顔回はどちらが上か。対えて曰く、回は私などの到底及びもつかない男です。回は一を聞けば十を悟るのに、私は一を聞いて二を悟るだけです。子曰。その通り。お前だけではない、私も及ばぬのだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 吉川先生によれば、

弗は不よりも、より強い否定の助字

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 ということで、孔子もそんなに卑下しなくても……という立場から

最後の一句は、「蓋し以て子貢を慰めんと欲した」のであると、漢の包咸は説く。朱子の新注では、「吾れ女に如かざるを与(ゆる)さん」吾与(二)女弗(一レ)如也、と読み、与は許であって、彼に及ばぬというお前の意見に、おれも賛成する、と読み、その説は梁の皇侃にもとづくが、包咸の説の方が、まさるであろう。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 私は、孔子の顔回溺愛を物語っていると思いますがね。

 宇野先生は、朱子と同じ「ゆるす」説をとりますが

孔子「汝の曰うように汝は顔回には及ばないのである。わしは汝が己自信を知って顔回に及ばないと曰ったことを許そう」

宇野哲人『論語』講談社学術文庫

 と解します。顔回の下に甘んじることなく、追いつけ追い越せの精神を忘れてはいけないよとすすめたのでしょう。


 それにしても、子貢との問答はどれもレベルが高いですね。子貢の謙遜は、「155 挙一隅。不以三隅反。則不復也。」を踏まえているのでしょう。

 わたしの顔回溺愛説をとるとして、子貢は、その愛を知っているのでわざとへりくだったのでしょう。子貢は子貢で孔子愛が半端ではないですから、ここ三角関係があります。で、「こんな僕をもっと教育して!」と遠回しにねだったのに、孔子はその場にいない顔回へののろけを隠さない。

 どんな話だ。