蜀犬 日に吠ゆ

2009-06-16

横見さんがフォーカスされ

[][][][]公冶長第五を読む(その8) 19:43 はてなブックマーク - 公冶長第五を読む(その8) - 蜀犬 日に吠ゆ

朽木は雕るべからず糞土の牆は杇るべからず

 公冶長第五(93~119)

101 宰予昼寝。子曰。朽木不可雕也。糞土之牆。不可杇也。於予与何誅。子曰。始吾於人也。聴其言而信其行。今吾於人也。聴其言而観其行。於予予改是。

(訓)宰予、昼寝ぬ。子曰く、朽木は雕(ほ)るべからず糞土の(かき)は杇(ぬ)るべからず。予に於いてか、何をか誅(せ)めん。子曰く、始め吾れ、人に於いてや、其の言を聴きて其の行いを信じたりき。今吾れ、人に於いてや、その言を聴きて其の行いを観る。予に於いてか、是を改めたり。

(新)宰予が昼寝した。子曰く、朽ちたる木では雕刻にならぬ。腐植土を積んだ垣根では上塗りができぬ。予に教えるのはもうあきらめた。孔子がまた言った。初めのうち私は人に対して、その言うことを聞けば、それがそのまま実行されているものと信じた。だが今の私は、人が言うのを聞いたあと、それが果たして実行されるかどうかを観察することにしている。私は予に懲りてから方針を変えたのだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 あー。えーと。この章句はさまざまに解釈されるのですが、いつも以上に下らない引用文があります。下まで書いたらくたびれました。読んでくたびれたら申し訳ありません。

 さあ、宰予は一体どんな悪いことをしたのでしょうか。

 下村湖人の『論語物語』では、宰予の視点からこの物語をとらえます。授業(というか夫子の講義)が始まるまで控えの間で待っているつもりがうっかり寝過ごしてしまったところから、その焦りの気持ちからはじまる印象的な小説でしたね。すでに授業が始まっていて先生の声が聞こえてくるわけです。論語物語ももちろん手元で見つからないので、あとで探しておかなければ。


 宮崎先生の解釈。

 昼寝は休憩の時間に、居眠りをしたくらいでなく、蒲団を着て寝こんでしまったのであろう。彼は疲れたら寝るという合理主義者である。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 主義に殉じたというわけですか。エライのかどうなのか。


 金谷先生は普通に「宰予が(怠けて)昼寝をした」とします。まあこの一回こっきりではなくて、普段の生活のだらしなさが、居眠りの現場を発見したときに総決算されてしまったのでしょうね。


 加地先生のところに、過去の説がまとめてありました。

「昼寝(晝寢)には諸説がある。」「昼 寝(い)ぬ」(昼寝した)とする解釈(『集注』など)が多い。しかし、中国の南方では午睡(ごすい)は習慣となっているし、昼寝したことを大きく咎めるほど孔子は狭量ではなかろう。「寝」を寝室とする説(『正義』)、「昼 寝(しん)す」(昼になったのにまだ寝室で寝ていた)などあるが、しかし「晝(昼)」は「畫(画)」字であったとする(『筆解』など)、すなわち「寝(寝室あるいはベッド)に画(えが)く」とする説を取る。

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 ということで、加地訳は

 宰予(宰我。八佾篇七二ページ前出)は、自室(あるいはベッド)で、ある絵を画いていた(あるいは、彫っていた)。

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 昼寝くらいしかたないさー、と軽く流す器の大きな孔夫子が、どうして絵を画いていた宰予を痛烈に批判すすのでしょう。この解釈はちょっとわかりませんねえ。


 吉川先生に補足してもらいます。

 また「論語」の古い本には、晝すなわち昼の字が、畫すなわち画の字になった本もあり、画レ寝、寝に画す、とは、宰予がその寝室に、身分不相応のぜいたくをして、壁画をかかせたのだ、という説もある。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 なるほど、それなら「畫」説もわかります。私もちょくちょく晝と畫の区別がつかないことがありますので、古来からの伝統的な間違いであるなら、恥ずかしさもちょっとは緩和されるというものです。

公冶長第五

 宰予昼寝ぬ。子曰はく、「朽木は雕(ゑ)る可からず。糞土の牆(しょう)は杇(お)すべからず。予に於いてか何ぞ誅(せ)めん。」子曰はく、「始め吾、人に於けるや、其の言を聴いて其の行ひを信ぜり。今吾、人に於けるや、其の言を聴いて其の行ひを観る。予に於いてか是を改む。」

[通釈]宰予がある日昼寝をした。学に志す者は寸陰を惜(おし)んで勉強すべきである。しかるに昼寝をするとはこの上もない怠惰者(なまけもの)である。孔子がこれを責めて曰われるには、「木の堅いのには雕刻することができるけれども、朽ちた木には雕刻はできぬ。牆(かき)の固いのには塗って飾ることができるけれども路上の乾いて湿気のない土で築いた牆は下地がぼろぼろしていて塗って飾ることができない。宰予は怠惰者で、教えを施す素地(そぢ)がなく、朽ちた木や路傍の乾いて湿気のない土で築いた牆と同様なものであるから、いかに宰予を責めても道に進ませることはできないから、わしは宰予に対してこれを責めはしない。わしはむかしは人に対して、その言う所を聴くとその行う所もその通りだと信じて疑わなかったものだが、今から後は、わしは人に対して、その言う所を聴いても、直ちにその行う所もその通りだと信じないで、必ずその行う所を観てからこれを信ずることにする。宰予で失敗したから、人に対する態度を改めるのである。」

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

「孔子がこれを責めて曰われるには、」「「わしは(略)責めはしない。」」ってのは結局責めてる台詞ですよねえ。怒ってないよ~、といいつつメチャラクチャラに怒っている状態。


 吉川先生からもう一説。

 ただ昼寝をしただけで、こんなに叱られるわけはないというところから、徂徠は一説を立て、「宰予昼寝ぬ、とは、昼に寝(ねべや)に処(お)るなり。昼に寝に処るとは、蓋し言うべからざるもの有り。故に孔子深く之を責む」。蓋し言うべからざるもの有り、とは、昼ひなかから女と寝ていたというのが、徂徠のつもりである。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 女とは、徂徠も言ってませんけどね! それなら叱られても仕方ないか。宰予、フォーカスされちゃったんですね。

 以下、日本を代表する徂徠説を考察。

 古代中国の密会が昼に行われたか夜だったかなんて知りませんが、孔先生が怒ったくらいですから「いちゃいちゃするなら夜中やれ!」ということだったのでしょうか。

 しかし、「合理主義者」宰予の意見はまた違っていたのかもしれません。丸谷才一先生の話。

 『論語』公冶長第三。

 吉川幸次郎さんの口語訳を適当に処理して紹介しますよ。

丸谷才一『絵具屋の女房』文春文庫

 ちなみに、公冶長第三は公冶長第五の誤り。ははは、丸谷先生は博識ですがだいたい記憶でかくのでこういうところおかしくなる。(編集が直しておくところでしょう。)

 吉川さんいはく。

 晝寝をしただけでこんなに叱られるのはをかしい。そこで荻生徂徠は、これは房事をおこなつたのだと考へた、と。これはいい説かもしれない。

 でも最新医学で行けば、宰予こそ正しくて、それを責める孔子は変だつてことになる。

 余談はこのくらゐにして、

丸谷才一『絵具屋の女房』文春文庫

 本論が、現代医学の「晝寝」なのですが、ここでは、『論語』の余談としてその話を紹介。

 1970年、スタンフォード大学睡眠障害クリニックを創立したW・C・デメント教授は、レム睡眠と夢、睡眠ポリグラフィ、睡眠時無呼吸、睡眠潜時反覆検査法、ナルコプレシー、睡眠薬などについて新知見をもたらした指導的な睡眠学者でした。その1970年の9月、サンフランシクコ・クロニクルの取材を受けたデメント教授は、終了後にオフレコと言うことで軽い話をしました。

 「小さい子がゐるところでは、両親はセックスをするべきぢやないと思ひますよ。でも、別の部屋でするつてことも考へられますね。ある部屋をセックスの部屋、別の部屋を睡眠の部屋にしたつていい。それに……」

 と教授は話に熱中してつづけた。

 「それに、夜よりも、子供たちが学校に行つてゐるか、晝寝をしてる晝のうちにすれば、夜にするよりずつといいかもしれませんね。第一、セックスの概日リズムは晝間に頂点があるといふことがわかつているんです」

 ここで多分ジャーナリストは訊ねたでせう。

 「セックスの概日リズム? どういふことですか?」

 デメント教授は喜んで概日リズムについて説明したにちがひない。得意中の得意の話題である。

 概日リズムは circadian rhythm ですね。概日性リズム、日同期性、二十四時間リズムと、訳語はいろいろ可能でせう。

 「生物時計で支配される生命現象の二十四時間周期のリズム」と研究者『新英和大辞典』は説明してゐます。

 デメント教授の本の、前のほう、第五章『生命の概日リズム』では、こんなふうに書いてある。

 人間の体内には生物時計があって、それが体温、ホルモン分泌、代謝の速度のやうな身体のシステムの反覆性のリズムを支配してゐる。そのリズムには二つの特性がある。一つの特性は周期で、たとへば毎日の体温リズムの周期性は約二十四時間である。もう一つの特性は振幅で、体温リズムの振幅は摂氏約一・一度と決まつてゐる。

 それで、この概日リズムでゆくと、セックスのそれは晝間に頂点が来るといふわけですね。そんなことが科学的に探求されてゐたわけだ。知らなかつた! あまたの晝を無為に過してしまつた。残念! 大兄(いま寝ころんでこの一文を読んでゐるあなた)は御存じでしたか? あまたの晝を適切に使ひましたか?

丸谷才一『絵具屋の女房』文春文庫

 というわけで、丸谷先生は「合理主義者」なのかもしれません。宰予は20世紀科学の先駆たるべく日々房中術の研鑽にいそしんでいたのかもしれません。

 なればこそ、孔子は激怒したのかもしれません。


 下らない話(というか、下の話)で失礼しました。


論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語〈上〉―中国古典選 (朝日選書)

論語〈上〉―中国古典選 (朝日選書)

論語新釈 (講談社学術文庫)

論語新釈 (講談社学術文庫)

絵具屋の女房 (文春文庫)

絵具屋の女房 (文春文庫)



[][]負けてもいいと思うけど~~勢古浩爾『負けない』ちくまプリマー新書 18:50 はてなブックマーク - 負けてもいいと思うけど~~勢古浩爾『負けない』ちくまプリマー新書 - 蜀犬 日に吠ゆ

 普通。いつもの勢古さん。

負けない (ちくまプリマー新書)

負けない (ちくまプリマー新書)

 しかし、今回は何にも典拠とか参考とかなしで語り降ろし風に人生へアドバイスするという内容。手抜きじゃないのかと思えるくらいでした。新書本といえば中身が薄いことで有名で、ちくま新書はそれほどでもない感じでしたが、ちくまプリマー新書はちょっと弱いかも。

 もっと若い人向け?