蜀犬 日に吠ゆ

2009-06-18

かってに改蔵

[][][][]公冶長第五を読む(その10) 20:05 はてなブックマーク - 公冶長第五を読む(その10) - 蜀犬 日に吠ゆ

人のこれを我に加うるを欲せざるや

 公冶長第五(93~119)

103 子貢曰。我不欲人之加諸我也。吾亦欲無加諸人。子曰。賜也非爾所及也。

(訓)子貢曰く、我は人のこれを我に加うるを欲せざるや、吾れも亦たこれを人に加うるなからんと欲す。子曰く、賜や、爾の及ぶ所に非ざるなり。

(新)子貢曰く、私は人から迷惑をかけられるのを好まぬのと同じように、人にも迷惑をかけたくないと思います。子曰く、賜や、それは今のお前には出すぎた願いだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 「我」と「吾」との区別が未だにわかりません。

 己の欲せざる所は、人に施すことなかれ。ですね。

 顔淵第十二「己の欲せざる所は、人に施すことなかれ

280 仲弓問仁。子曰。出門如見大賓。使民如承大祭。己所不欲。勿施於人。在邦無怨。在家無怨。仲弓曰。雍雖不敏。請事斯語矣。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 衛霊公第十五「其れ恕か。己れの欲せざる所は人に施すことなかれ


 子貢が、「どうです私の見識は。褒めてくださいよ。」と言ってきたのに、「まだまだじゃのう」。と冷たい孔子。いつもこのパターンですが、いいのかそれで。せっかく子貢がやる気を出したのに、抜く手もみせず水を差す。師匠、おそろしい。羽美ちゃんのようです。

 子貢は弁舌の才能があり、手広く商売を行っているので実務の面では申し分のない人材であったといえるでしょう。孔子が教え導くとすれば、まさしくこの仁の実践の部分ではないかと思うのですが、それをすすめるどころか突き放すような言い方。

 孔子は弟子の特性を見てアドバイスすることで知られるので、こういうふうに冷たく言うことで子貢の発憤を促したのでしょうか。(宇野説も「おさえたのはかえってすすめた」と解します。)子貢もよくついていきますねえ。愛ですねえ。


 『新約聖書』は似ているようで違うことを言います。

マタイによる福音書

MATTHEW 7

12 だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法(りっぽう)と預言者である。」

12 Therefore, whatever you want men to do to you, do also to them, for this is the Law and the Prophets.

新共同訳『新約聖書』ギデオン協会


夫子の文章は得て聞くべきなり

 公冶長第五(93~119)

104 子貢曰。夫子之文章。可得而聞也。夫子之言性与天道。不可得而聞也。

(訓)子貢曰く、夫子の文章は得て聞くべきなり。夫子の性と天道とを言うは、得て聞くべからざるなり。

(新)子貢曰く、先生の生活の哲学は、これまでいつも教えを受けてきたが、先生の性命論と宇宙論とは、ついぞ伺ったことがない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 普通子貢自身のことを述べた章句だとされますが、私は、一般論であると解釈してもいいのではないかと思います。すなわち、「夫子の言葉で知識を得ることはできても、夫子の哲学を学ぶことは難しい」と。孔子が人の本質論や宇宙観などについて語ることは少なかったのであまり聞けなかったというのは本当でしょう。しかしもしそういうことを語ったとしても、それを理解することは難しく、「聞いた」ことにはならなかったのではないでしょうか。


子路は聞くことありて

 公冶長第五(93~119)

105 子路有聞。未之能行。唯恐有聞。

(訓)子路は聞くことありて、未だこれを能く行わざれば、唯だ聞くあらんことを恐る。

(新)子路は教えられて、まだそれを実行できない間は、更に新しいことを教えられはせぬかと、びくびくしていた。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 意外と子路あたりには宇宙論を語っていたりして。

 儒教は実践道徳を尊ぶので、子路はひとつひとつ孔子の教えを実践していったのでしょう。抽象論に走りたがる子貢がたしなめられるのもそういうことでしょう。孔子は、子路をゆっくり指導する一方で、賢いはずの子貢になかなか自分の真意が伝わらないことを悲しんだのかもしれません。


孔文子は、何を以てか之を文と謂うや

 ここから116までは、怒濤の歴史事物評価となります。

 公冶長第五(93~119)

106 子貢問曰。孔文子。何以謂之文也。子曰。敏而好学。不恥下問。是以謂之文也。

(訓)子貢、問うて曰く、孔文子は、何を以てか之を文と謂うや。子曰く、敏にして学を好み、下問を恥じず。是を以て之を文と謂うなり。

(新)子貢が尋ねた。孔文子は何故に文と諡(おくりな)されたのですか。子曰く、彼は機会さえあればとびついて学問にひたり、部下からの忠言を進んで求めた。その点で文と諡する価値があったのだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 またこんな形而上的質問をするし。

 孔文子は、衛国の孔圉(こうぎょ)のこと。自分の娘を太叔疾という人にめあわせたものの、そのあと疾と不仲になり、疾が亡命すると娘を今度はその弟にめあわせた。という非道の人物とされます。

 また孔文子の死後、衛の霊公の娘であった未亡人が弟の太子とクーデターを起こし、子路の子の原因をつくった点でも孔子教団と因縁浅からぬ仲であるといえるでしょう。「文」は最高級の位に属する諡号ですが、問題のある孔圉におくられたのは、彼の普段の人となりによるものであるとするわけです。