蜀犬 日に吠ゆ

2009-06-26

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[][][][]公冶長第五を読む(その1422:07 はてなブックマーク - 公冶長第五を読む(その14) - 蜀犬 日に吠ゆ

三思して後に行う

 公冶長第五(93~119)

111 季文子。三思而後行。子聞之曰。再斯可矣。

(訓)季文子、三思して後に行う。子、これを聞いて曰く、再びすれば斯(ここ)に可なり。

(新)季文子は何事にも三度思案してから実行にかかった。孔子がそれを聞いて言った。二度ぐらいでよかろう。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 古注では「二度でもいいのに、三度とは慎重でいい男だ」とし、新注では「二度でいいのに三度は無駄だよね」と解します。

 よくあるお国柄ジョークで、「フランス人は行動してから考え、イギリス人は考えてから行動し…」云々というのがあったような気もします。中身は適当。しかし、こういうのはもちろん個人差があるでしょうし、どういう態度が正しいのかはケースバイケースでしょうね。

 あんまり考えすぎると行動できなくなりますし。


其の愚は及ぶべからざるなり

 公冶長第五(93~119)

112 子曰。甯武子。邦有道則知。邦無道則愚。其知可及也。其愚不可及也。

(訓)子曰く、甯武子は、邦に道あれば則ち知、邦に道なければ則ち愚。其の知は及ぶべし。其の愚は及ぶべからざるなり。

(新)子曰く、甯武子は、国がよく治まっている時は知者でとおり、国が乱れている時には愚者と見られた。知者でとおった方の真似はたやすいが、愚者と見られた方は誰にも真似できぬ芸当だ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 これは、甯武子の伝記を知らないとなんとも言えませんよね。

「左伝」を見ると、まずBC六三二、魯の僖公の二十八年、すなわち晋と楚が、衛の問題を一つのきっかけとして、城濮で大戦争をした年、一度国外に逃げた成公が、国に復帰すると、この人物が、国人をあつめ、いずれの党派も、国家を思う心は一つであるから、国家を思う心は一つであるから、以後は仲良くするようにと、誓約させ、うまく危機を収拾したこと、しかし、党派はなお終結せず、成公は反対党から告訴され、覇者である晋の文公の法廷で裁判されることになったが、この人物が、成公の弁護人の一人となり、訴訟には負けたけれども、その忠誠さを晋がわから尊敬されたこと、訴訟に負けた成公は、周の都に拘禁されたが、この人物が差入れその他にこまかな気をくばったこと、さらにまたその翌翌年である僖公三十年、BC六三〇、獄中の君主が、晋のために毒殺されかけたとき、この人物が医者に賄賂をやって、毒薬をうすくし、そのいのちを助けたこと、などをしるしている。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 つまり、このときの「愚」とは、人望のない君主にひたすら忠義を尽くすことであり、おかしな知恵を回さなかったことにあるのであって、たしかにこれは夫子ほめますよね。