蜀犬 日に吠ゆ

2009-06-29

[]漆間警察庁長官が捜査費で宴会? そんな報道あったね(笑い)~~宮崎哲弥 川端幹人『中吊り倶楽部』洋泉社 20:23 はてなブックマーク - 漆間警察庁長官が捜査費で宴会? そんな報道あったね(笑い)~~宮崎哲弥 川端幹人『中吊り倶楽部』洋泉社 - 蜀犬 日に吠ゆ

 いやあ、昔のニュースは面白い。

中吊り倶楽部 「メディアの辻説法師」と「業界の地獄耳」の高級時事漫談

中吊り倶楽部 「メディアの辻説法師」と「業界の地獄耳」の高級時事漫談

 それにつけても論座の休刊……

 たとえば、2005年の夏、こんなことが話題だったようですよ。

2005年8月

 ベストワースト
1漆間警察庁長官は「捜査費で宴会」大疑惑に答えよ!(週刊現代)「阿保天皇」記事を回収しなかった「朝日新聞」の皇室観(週刊新潮)
2衆院選「全選挙区」完全予測(週刊文春)衆院選「当落完全予測」(サンデー毎日)NEWSメンバー飲酒事件全真相菊間千乃アナ呆れた一夜(女性セブン)
3戦後60年スペシャルおれたちの愛国白書!(週刊プレイボーイ)安倍晋三に「宰相への気概」を問う
4杉田かおる独占手記「あの夜、彼はいきなり私に殴りかかってきた」(週刊ポスト) 
5男30歳「派遣サラリーマン」の悲鳴を聞け! 

適当に、まんなかへん

2006年11月

 ベストワースト
1ハンナンへの「黒い借り」松岡農水相の重大疑惑(AERA)「自殺予告はイタズラ!」石原都知事が語る「確たる証拠」(週刊新潮)
2それなら「福原愛ちゃん」は世界史を「履修」したの?(週刊新潮)野中広務「同和を恐れ、不正を野放しにした責任」(週刊ポスト)
3石破茂元防衛庁長官が「核論議」を封殺するな!(週刊朝日)林真理子ゲストコレクション中川昭一「僕が洗練されてたら、こんなに発言で物議をかもしませんよ」(週刊朝日)
4参院選候補「藤原紀香」が自民党に冷水をかけた「護憲発言」(週刊新潮) 
5獅童 竹内結子離婚へ! 弁護士たててただ今親権バトル中!(女性セブン) 

 しかし、たとえば中川昭一さんの核武装論。「馬鹿じゃねえの?」とか思っていたのですが、

川端――でしょ。実はあの中川発言の意図について政界関係者について取材して回ったの。そしたら、返ってきた答えはみんな同じ。「××だから」と(笑い)。そんな人をヒーローにしちゃうんだから、日本のポピュリズムのエスカレートぶりはスゴイわ。

 この当時は、中川さんは単に世襲の低脳だと認識していたので、こういう伏せ字*1に対しても失礼ながら「夢を語って食えるなら、政治家って楽だよな」くらいの感想しかなかったのですが、2009年現在、昭一シンパになっているとは。(しかし核武装には反対します。)「われわれ」の一員になるとは思っていませんでしたねえ。

宮崎――(略)民主主義が成熟してくると、どうしても大衆は建前ではなくて、乱暴な反動的スローガンに惹きつけられるようになる。じゃあ、リベラル、左の側はどうするのか。乱暴な相手を乗り越えるには、論理では無理で、やっぱりスキャンダル攻撃しかないんだよね。権力者の醜聞を暴いて倒すしかない。

 いちいちごもっともですし、その通りになりました。しかし私は逆にこれで中川押しになったので、縁は異なもの味なもの。


 懐かしかったり、もしくは現在に通じる考察があったり。私が社会をゆるがすような事件報道に冷淡でいられるのも『論座』あっての事でした。いまも、世の中のニュースの多くは『論座』のころの知識で対応できているつもりになっています。北野さんとバーニングのあれこれも、ジャニーズの知識で補えたりします。サブプライムをとりあげたのは終風先生の方が古かったけれど、2008年には宮崎さんは「過去の失策」として語っていましたので、「リーマン・ショック」の何がショックなのか私にはサッパリ分からなかったです。

 いろんな意味で、論座はすばらしかったなあ、というのがオッサンの繰り言。




[][][][]公冶長第五を読む(その15) 21:25 はてなブックマーク - 公冶長第五を読む(その15) - 蜀犬 日に吠ゆ

これを裁する所以を知らず

 公冶長第五(93~119)

113 子在陳曰。帰与帰与。吾党之小子狂簡*2。斐然成章。不知所以裁之。

(訓)子、陳に在りて曰く、帰らんかな、帰らんかな。吾が党の小子、狂簡(きょうかん)にして、斐然として章を成すも、これを裁する所以(ゆえん)を知らず。

(新)孔子が旅先きの陳で言った。帰ろうかな、帰るとしよう。魯国に残してきた若者たちは理想にもえてやる気十分。美事な絹を織りあげながら、裁(た)ち方を知らずにいるらしい。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 孔子略年表によれば、ストレートには帰れず、陳のあと蔡・楚・衛と渡り歩いてから帰国できたのですけれどもね。56~69歳を外遊ですごした孔子。魯に帰国したときは69歳ですよ。古代中国で、これだけ生きれば化け物に近いのではないでしょうか。そりゃみんな言うこと聞きますよね。

 孔子が野心をすてて教育に身をささげると決めたのは、「五十にして天命を知る」よりもあとであるのがちょっと気になりますが、もしかすると、五十は五十代をあらわしているのかも知れませんね。十有五に引きずられてキリのいい年齢で解釈しなくてもいいのかもしれません。


伯夷叔斉

 公冶長第五(93~119)

114 子曰。伯夷叔斉。不念旧悪。怨是用希。

(訓)子曰く、伯夷、叔斉は、旧悪を念(おも)わず。怨み、是をもって希(まれ)なり。

(新)子曰く、伯夷、叔斉は古い悪因縁を忘れようとつとめた。だから怨む心を起さずにすんだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 伯夷叔斉の兄弟は潔癖の代表のような人物で、自分が清くあるためには国など、民など顧みない、まるでガウタマ=シッダールタのような人ですが、仏陀がブラフマンに説得されて人間界に戻りダルマを説いたのとはちがい、結局首陽山で餓死したのですよね。己の正義を貫いたのだから、ある意味羨ましい人生ではあります。

 夫子は兄弟を、旧悪を思わなかったと評価しますが、史記にそんな記述ありましたっけ? 旧悪を問わないのであれば、武王の治世をもっと評価してもよかったのではないでしょうか。

*1:連載時も伏せ字だったか覚えがありませんが

*2:母里註。「簡」はもんがまえの中が月