蜀犬 日に吠ゆ

2009-07-11

[][][][]雍也第六を読む(その2) 20:36 はてなブックマーク - 雍也第六を読む(その2) - 蜀犬 日に吠ゆ

顔回なる者ありて学を好みたり

 雍也第六(120~147)

121 哀公問。弟子孰為好学。孔子対曰。有顔回者好学。不遷怒。不弐過。不幸短命死矣。今也則亡。未聞好学者也。

(訓)哀公問う、弟子孰(た)れか学を好むとなす。孔子対(こた)えて曰く、顔回なる者ありて学を好みたり。怒りを遷(うつ)さず、過ちを弐(ふたた)びせず。不幸、短命にして死せり。今や則ち亡し。未だ学を好む者あるを聞かざるなり。

(新)魯の哀公が尋ねた。弟子の中で誰が学問好きですか。孔子対えて曰く、顔回なる者があって好学でした。自分の不愉快を人に感じさせません。同じ過失を二度と繰返しませんでした。不幸にも短命でなくなりました。それっきりです。それから後は、学問好きという人についぞめぐりあいません。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 孔子略年表を見ると、顔回は享年四十一。当時の情勢から見て、泣くほど短命ではないと思います。五二歳から仕官を初めて七十ナンボまで生きる孔子の方がおかしいのですが、まあそういう自分のあとを継いでもらうつもりだったのでしょうから、心痛は分かります。

 この章句の面白さは、おそらく人材をスカウトしようとした哀公に対して孔子が顔回への繰り言をぶつけるところ。どんなに優秀でも、死んだ人に用はないでしょう、画に描いた餅と同じで。