蜀犬 日に吠ゆ

2009-07-17

[][][][]雍也第六を読む(その4) 20:19 はてなブックマーク - 雍也第六を読む(その4) - 蜀犬 日に吠ゆ

山川それこれを舎かんや

 雍也第六(120~147)

123 子謂仲弓曰。犂牛之子、騂且角。雖欲勿用。山川其舎諸。

(訓)子、仲弓を謂いて曰く、犂牛の子、騂(あか)くして且つ角あらば、用いるなからんと欲すと雖も、山川、それこれを舎(お)かんや。

(新)子は仲弓について言った。労役用の雑種の牛の子でも、毛並みがつやつやとして赤く、その上に立派な角があったなら、人間は其れを惜しいと思っても、山川の神もちゃんと知っていて、此方への捧げものにと、必ずお召しになる。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 人は生まれでなく能力だというたとえ話。これは仲弓が世に出るべきであることを促しています。

 仲弓とは冉雍の字(あざな)であり、120でも「雍也南面せしむべし」と評価しているわけですから、夫子の期待はさぞや高かったであろう事が予想されます。


 ただ一方で、貴賤という、人の作った仕組みが人間社会を生きにくいものにしてしまう現状もあるわけで、文章軌範に

 世に伯楽あり、然る後、千里の馬あり。

 世有伯楽、然後有千里馬。


 世の中に馬を見る名人の伯楽があればこそ、それに発見されて、千里の名馬が出てくる。

 認める人がなければ、異才秀才も、決して世の中に出てこない。(韓文公「雑説下」)

諸橋轍次『中国古典名言辞典』講談社学術文庫

 とあるように、仲弓を認めるだけの賢君がいないことの方こそ、孔子にとっては大問題だったでしょうね。自分のことだけであれば「369 我を知るものは其れ天なるか」などと言っていればよいのでしょうけれども、弟子のこととなると、孔子の悔しさが、「山川其舎諸」という皮肉な言い回しに出ているようにも感じられます。