蜀犬 日に吠ゆ

2009-07-19

[][][][]雍也第六を読む(その5) 20:40 はてなブックマーク - 雍也第六を読む(その5) - 蜀犬 日に吠ゆ

惎(おし)うること三月、仁に違わずなりぬ

 雍也第六(120~147)

124 子曰。回也。其心惎三月不違仁。其余。則日月至焉而已矣。

(訓)子曰く、回や其の心惎(おし)うること三月、仁に違わずなりぬ。其の余は則ち日に月に至りしのみ。

(新)子曰く、顔回は教えはじめてから三月もすると、もう仁の徳に違う行為がないっようになった。その他の徳は、一日、一月で卒業してしまった。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 金谷先生の解釈

 先生がいわれた、「回は三月も心を仁の徳から離さない。そのほかの者では一日か一月のあいだゆきつけるだけのことだ」

金谷治『論語』岩波文庫

 こちらが普通の解釈でしょうが、「心が仁から離れない」というのはどういう意味なのか不明なので、宮崎先生のように大胆解釈したくなる気持ちも分かります。加地先生によれば『義疎』は「三月」を「いつも、常に」の矣であるとする由。

 「其の余」を「他の徳」とするのは仁斎・徂徠も唱えた説だそうです(吉川本)。


 ざっと見ると宮崎先生の説が実態に即していそうですね。ある時の講義で弟子たちに何かを教えて、弟子たちは「分かった分かった」と頷いていますが、まあ一ヵ月後くらいに質問してみるとちっとも身についていない。ひどいのになると次の日にはもううろ覚えになっています。「学んだら時々復習しろ!」と夫子がぷりぷり怒るわけですが、そこへいくと顔回はさすがにスマート。三カ月先になっても、しっかり学んだことを身につけていて間違い勘違いということがありません。しかも「仁」のように観念的抽象的な、高度な内容であってもそうだということ。

 と、すると「其の余」は「ほかの者」にした方が収まりがいいでしょうか。難しい。


季康子問う、由は賜は求は

 雍也第六(120~147)

125 季康子問。仲由可使従政也与。子曰。由也果。於従政乎何有。曰。賜也可使従政也与。曰。賜也達。於従政乎何有。曰。求也可使従政也与。曰。求也芸。於従政乎何有。

(訓)季康子、問う、仲由は政に従わしむべきか。子曰く、由や果なり。政に従うに於いて何かあらん。曰く、賜や政に従わしむべきか。曰く、賜や達なり。政に従うに於いて何かあらん。曰く、求や政に従わしむべきか。曰く、求や芸あり。政に従うに於いて何かあらん。

(新)季康子が尋ねた。仲由は政治が任せられますか。子曰く、由は決断力がある。政治などは何でもない。曰く、賜は政治が任せられますか。曰く、賜は先のことが見える。政治などは何でもない。曰く、求は政治が任せられますか。曰く、求は教養がある。政治などは何でもない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 季康子がスカウトに来ました。孔子門下で名前がしれているとすれば、まず筆頭は子路、それに次いで子貢、と聞いてきます。季康子の本命は実は冉求であり、まあそれとなさそうに水を向けて見たわけです。のちに冉求は季康子の家宰となります。

 しかし、孔子の口ぶりはわざとらしいですね。おそらく満足した答えが聞けた季康子は帰ってしまったのですが、夫子としてはもう一歩踏み込んで聞いて欲しかったのでしょう。

 「先生のおっしゃりようですと、なんだかだれでも政治ができそうですがね。」

 「大臣、もしあなたの役に立つ士大夫がご入り用であるというのなら、わが門下にナンボでもいますわい」

 「そんなにいますか。いったい先生は政治というものを軽んじているのではないでしょうか。先生の話が本当なら、その弟子たちと天下をとれませんか。」

 「ぢゃから、あんたの役に立つ程度の男、と言っておろうが。実際、冉求というのは、千室の邑、百乗の家あたりに一番むいているのであるよ」

 このあたりで季康子も少し不愉快になって帰って行ってしまうのでしょう。

 夫子の一番聞いてもらいたい質問はまたしても、お預けとなったのでした。