蜀犬 日に吠ゆ

2009-07-24

[][][][]雍也第六を読む(その11) 23:08 はてなブックマーク - 雍也第六を読む(その11) - 蜀犬 日に吠ゆ

祝鮀の佞、宋朝の美

 雍也第六(120~147)

133 子曰。不有祝鮀之佞。而有宋朝之美。難乎免於今之世矣。

(訓)子曰く、祝鮀の佞あらずして、宋朝の美あらば、難(かた)いかな、今の世に免れんこと。

(新)子曰く、衛の国で有名な祝鮀のような弁才を持たずに、宋朝のような美貌を持ったなら、どんな不幸な身の上になるか知れない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 宋朝は衛霊公の夫人南子の情人。南子夫人は孔子とも面会した姦婦。左伝に面白い話がありますが、今日はもう(酔って)エントリできません。

 従来の解釈はこれを衛の国の運命のこととして、祝鮀の弁才によって宋朝の害毒を制御するのでなかったら、国が滅びていたかも知れない、と文章以上の意味を付け加える。しかしここはやはり、美貌が仇になる個人の運命を言ったものであろう。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 つまりこれはたとえ話で、たとえ話というのは「そのたとえは妥当か?」「そもそもたとえ話自体が論理的に成立するか?」という新たな問題を引き起こす問題児。シュレーディンガーの猫を動物愛護団体が糾弾するような事態にまで至ったら、この世も末です。

 たとえ話を定義したのはこの人(?)。

マタイによる福音書

13

たとえを用いて話す理由

10 And the disciples came and said to Him, "Why do You speak to them in parables?"

10 弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。

11 He answered and said to them, "Because it has been given to you to know the mysteries of the kingdom of heaven, but to them it has not been given.

11 イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。

12 For whoever ha, to him more will be given, and he will have abundance; but whoever does not have, even what he has will be taken away from him.

12 持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。

13 Therefore I speak to them in parables, because seeing they do not see, and hearing they do not hear, nor do they understand.

13 だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。

『新約聖書』日本国際ギデオン教会

 バカに分からせるためにたとえ話はある、と。


 そうすると夫子がこの話を「だれに対して発言したのか」ということで、国の命運をたとえ話でしたのか、個人の運命を慨嘆したのかが判別できるのでしょうけれども、いかんせん論語はそういうところが見事にばっさり推敲されてしまっていますから、解釈がもめるのでしょうね。


 次に宋朝とは、宋の公子朝であって、これは大変ないろおとこであった。すなわち祝鮀の仕えた衛の霊公の夫人で、南子というのは、もうすぐこの篇でも出て来るように、なかなかの女性であるが、この女性が、衛に嫁入るまえ、まだ宋のくにの姫君であったころ、最初の恋人として愛したのが、じつにこの宋朝であったことは、「春秋左氏伝」の定公十四年の条に見える。そうしてこの道ならぬ恋が、以後の衛の騒動の遠因にもなったことは、拙著「中国の知恵」第六章を見られたい。なお霊公の父、衛の襄公の夫人の宣姜にも、「公子朝」という情人のあったことが、「左伝」の昭公二十年に見えており、劉宝楠の「論語正義」では、それもすなわちこの人物だというが、これは濡れぎぬらしく、いかに美男であっても、二代のきさきの若い燕であったとまではきめにくい。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 「宋の公子」と「宋のくにの姫君」だから「道ならぬ恋(incest taboo)」なのでしょうか。左氏の伝文はその恋の行方を物語ります。

9 衛侯(霊公)は夫人南子のために、(もとの愛人)宋朝を呼んでやった。洮(とう)の会合のとき、衛の大子蒯聵(かいがい)は盂の地を斉に献ずるため、宋の郊外を通ると、野外で人が歌っている。

  とっくに牝豕(めすぶた)(南子)手に入れた

  どうして牡豕(おぶた)(そうちょう)を帰さぬか

 大子は羞(はずか)しく思い、(家臣の)戯陽速に、

 「少君(おくがた)への御挨拶に我(じぶん)について来い。少君が我を接見し、我が振り向いたら、すぐに殺せ」と言うと、速は

 「承知しました」

 そこで、夫人に朝見した。夫人は大子を接見したが、大子が三度振り向いても、戯陽速は進み出ない。夫人は大子の顔色が変わるのを見て、「蒯聵が余(わたし)を殺します」と泣き叫びながら、走り出した。公は夫人の手を執(と)って楼台に登った。大子は宋に逃げ、一味はすべて追放された。そこで公孟彄(こうもうこう)は鄭に出奔し、鄭からさらに斉に逃げたのである。

 大子が、「戯陽速は余(わし)をひどい目にあわせた」と人に話すと、戯陽速は人にこう話した。

 「大子こそ余(わし)をひどい目にあわせた。大子は非道にも、自分の母を殺せと余に命じた。余がことわれば、余を殺しただろうし、もし夫人を殺したら、きっと余に罪を押しつけただろう。だから余は承諾はしても実行せず、死を免れたのだ。諺に「民は信もて身を守る」というが、吾(わたし)は義(すじ)を信として(身を守った)のだ」

「定公十四年」小倉芳彦『春秋左氏伝』下 岩波文庫

 というわけで邪魔者のいなくなった(本当は霊公がいますが)南子と宋朝は「道ならぬ恋」に身を焦がすのでした。めでたしめでたし。