蜀犬 日に吠ゆ

2009-07-25

[][][][]雍也第六を読む(その12) 19:44 はてなブックマーク - 雍也第六を読む(その12) - 蜀犬 日に吠ゆ

誰か能く出づるに戸に由らざらん

 雍也第六(120~147)

134 子曰。誰能出不由戸。何莫由斯道也。

(訓)子曰く、誰か能く出づるに戸に由らざらん。何ぞ斯(こ)の道に由る莫きや。

(新)子曰く、出入りするのに出入り口を通らぬ人はない。何故、私たちのこの道を通ろうとする人がいないのだろう。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 (以下妄想)

 と、夫子は嘆息した。居並ぶ弟子たちはみな水を打ったように静まりかえったが、一人子路だけは、答えを返した。

 「先生、私は斯の道を行きたいと思っております。」

 夫子は答えて言った。

 「由や、お前はまず自分の室から出てくる必要があるな。」

 子貢がたずねた。

 「先生の仰る道とは、いかなるものでしょう。」

 夫子の答え。

 「私の道を、私はすでに伝えている。目を開けば、道はお前の正面にある。」

 そうして、孔子は、居並ぶ弟子たちを見渡して、いるはずのない顔回がいるはずがないことを確かめると、嘆息して言った。。

 「何故、この道を通ろうとする人がいないのだろう。」

文質彬彬

 雍也第六(120~147)

135 子曰。質勝文則野。文勝質則史。文質彬彬。然後君子

(訓)子曰く、質、文に勝れば野、文、質に勝れば史、文質彬彬(ひんぴん)として、然る後に君子なり。

(新)子曰く、実質があっても文飾を欠けばそれは野人だ。文飾だけを知って実質のないのは代筆屋だ。文飾も実績も備わり、彬彬として見所があって、始めて教養ある君子をいえる。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 この夫子の名言を、棘子成が大胆否定。(顔淵第十二、286

棘子成が曰わく、君子は質のみ。何ぞ文を以て為さん。

金谷治『論語』岩波文庫

 顔淵篇ではこれに子貢が反駁を加えるのですが、閑話休題(それはさておき)、「デザインよりも性能だ」とか言いたがる人は現代でもあちこちに見受けられますが、夫子の教えは違います。

 一つには、「デザインは性能のうちだ」といううことがあり、他方に「デザインがあって性能が発揮できる」ということがあり、両者の調和(彬彬)があって初めて人も物も使い物になるのですね。

 まあ古い話で恐縮ですが、ウォークマンとか、そうですよね。あの(設計思想からの)デザインが、性能であることに疑いをもつ人もいないと思いますが、孔子が言いたいのは、人間に関して、そういうことなのではないかと思います。


人の生まるるや直し

 雍也第六(120~147)

136 子曰。人之生也直。罔之生也幸而免。

(訓)子曰く、人の生まるるや直し。これを罔(なみ)して生くるや、幸いにして免れんのみ。

(新)子曰く、人間は正直に生まれついたものだ。それを無視して曲った生活をする者が、無事に過ごせたら、それは僥倖というものだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 後年の「性善説」「性悪説」に倣って言うなら、「生直説」とでも申しましょうか。生まれたままの状態でまっすぐ生きることを「直」と解釈するなら、トートロジーになりますが。


 漢文の字面だけ見ると、文字数は違いますが対句で読みたく思えてきます。吉川先生はそういう読み下しをなさっていますね。

人の生くるや直し。罔(あざ)むくものの生くるは、幸いにして免る。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 意味としてはほぼ同じ。