蜀犬 日に吠ゆ

2009-07-26

[][][][]雍也第六を読む(その13) 20:39 はてなブックマーク - 雍也第六を読む(その13) - 蜀犬 日に吠ゆ

これを知る者は

 雍也第六(120~147)

137 子曰。知之者。不如好之者。好之者。不如楽之者。

(訓)子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず。

(新)子曰く、理性で知ることは、感情で好むことの深さに及ばない。感情で好むことは、全身を打ちこんで楽しむことの深さに及ばない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 加地先生による注。

注(1) 「之」を「学問」あるいは「道」とする説が普通だが、道理と解釈する。

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 ううむ。「之」が何を指ししめすのかは結構問題がありそうですね。また「之」を普遍的に、すべてに於いてあてはまるとするのにも無理がありそう。

 「之」を学問であると解釈する代表は、蔡志忠先生か。

子路「俺は学問がある。なんでもしってるぜ」

子夏「僕は学問が好きなんだ」

顔回「僕は学問に楽しみを見つけているのさ」

蔡志忠 和田武司訳『マンガ孔子の思想』講談社+α文庫

 この解釈もどうなのでしょうねえ。

 学問であるとするなら、

  • 「知」とは、学問の大切さを頭で理解して君子を目指す修養法。
  • 「好」とは、学問を自分の好きなこととして追究し学ぶ修養法。
  • 「楽」とは、学問をそれとは意識せず、自然体で楽しんでいくうち身につけていく修養法。

 うさんくさくないですか? ベネッセのことを悪く言うわけではないですが、よく冗談話のタネになる進研ゼミの「たのしくやるうちぐんぐん実力アップ」的な。(そう考えると進研ゼミは論語に基づいた教育法だったのかも知れません。学校現場での「進路意識をしっかりもって学習意欲を…」的指導は最低の教育?)まあ進研ゼミは子供を「踊らせる」方便として「楽」を掲げていそうなので違和感があるのですが、本当に楽しむうちにぐんぐん実力がアップしたら言うことはないですよね。的な、「机上の空論」感が否めないのではないでしょうか、この章句。

公冶長第五、119 丘の学を好むやというのは、雍也第六、137 これを好む者はこれを楽しむ者に如かずというより一歩低い境地ですね。これは謙遜なのでしょうか。

 また時間をおいて考えると違った感想になると思いますので今回はここまで。