2009-08-04
■ [書留][儒教][雍也第六][宮崎市定]雍也第六を読む(その20) 
君子は博く学び
雍也第六(120~147)
144 子曰。君子博学於文。約之以礼。亦可以弗畔矣夫。
(訓)子曰く、君子は博く文を学び、これを約するに礼を以てすれば、亦た以て畔(そむ)かざるべし。
(新)子曰く、諸君は多く学んで知識を広め、礼の実践によって知識に締めくくりを与えることができたなら、先ずは学問のつぼをはずさなかったと見てよい。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫
八佾第三、礼は後なるかにありますように、孔子が重んじた人の道、「礼」は幅広い教養をまとめあげるものであることがくり返されます。為政第二、学んで思わざればにも通じる部分がありますが、ただ学んで博識であることに意味は少ないという儒者の現実主義が現れてきます。同じ態度が、トクする豆知識を追求する人たちからは理想主義的に見えるのでしょうけれども。
子、南子を見る
雍也第六(120~147)
145 子見南子。子路不説。夫子矢之曰。予所否者。天厭之。天厭之。
(訓)子、南子を見る。子路、説(よろこ)ばず。夫子、これに矢(ちか)いて曰く、予が否(しから)ずとするところのものは、天これを厭(す)てん、天これを厭てん。
(新)孔子が衛公の夫人、南子と会見した。子路が大いに不服を唱えた。孔子がこれに誓っていうには、私がその時何も非難を受けるようなことをしなかったことは、天もこれをみそなわせ。天もこれをみそなわす。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫
天之厭は誓いの際の常套語であろう。私の言うことは神かけて偽りがない、の意。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫
南子(衛霊公の夫人)については宋朝の美参照。
矢(ちか)いを立てるのは、子路に言われたからでしょうか。むしろ子路をなだめるためによくある誓いの言葉でお茶を濁し、あんまり深刻に考えるな、という文脈ではなかったかと推測します。
孔子の言葉一つ一つが金科玉条であるという見方も当然ありますし、いちいち冗談を言行録に入れないだろう、という考え方の方が普通なのかも知れませんが、「焉んぞ牛刀を用いん(陽貨第十七)」のようにきちんと冗談も記録されているのが論語の特徴と言えば特徴なのではないでしょうか。