蜀犬 日に吠ゆ

2009-08-05

[][][][]雍也第六を読む(その21) 20:29 はてなブックマーク - 雍也第六を読む(その21) - 蜀犬 日に吠ゆ

中庸の徳

 雍也第六(120~147)

145 子曰。中庸之為徳也。其至矣乎。民鮮能久矣。

(訓)子曰く、中庸の徳たるや、其れ至れるかな。民能くすること鮮(すくな)きや久し。

(新)子曰く、永遠の道たる中庸は、至れり尽くせりの徳と言うべきだ。この道が民間ですたれたことも久しいものだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 中庸の中は過不及のないこと。庸は常なりと訓じ、この常は永久の常である。過不及のない行為は、時間的に永久に繰返しても行きつまることがない、というのが中国思想の特色である。最後の句に能字を脱す。礼記の中庸篇によって補うべきである。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 中庸の徳をたたえた章句で、中庸の解説はされていないのですから(私にとって)あまりおもしろみはないといえます。

 宮崎先生のように「能」字を補わなくても、

 民鮮なきこと久し。

 人民のあいだにとぼしくなってから久しいことだ。

金谷治『論語』岩波文庫

 ですから、解釈が大きく変わるわけではありません。

 ついでに言えば、礼記の中庸篇とは、

 「中庸」という言葉が、儒家のきわめて尊重する概念であったことは、もっぱらその価値を説く「中庸」という独立の文章が、孔子の孫である子思の作として、漢代では「礼記」四十九篇中の一篇となり、さらにまた宋以後は「四書」の一つとして、極度の尊重を受けたことでも、示される。そうしてそれについては儒家のもっとも重要な思想の一つであるだけに、かずかずの論議が交されている

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 というわけで、「四書」の一角を占めます。その第二章

(第二章 凡そ四節)

(白文省略)

 仲尼曰く、「君子中庸し、小人は中庸に反す。君子中庸は、君子にして時に中すればなり。小人の中庸に反するは、小人にして忌憚するなければなり」と。

 子曰く、「中庸は其れ至れるかな。民能くする鮮きこと久し」と。

金谷治『大学・中庸』岩波文庫

 で、ほぼ同じことを言っていますね。


 「至れり尽くせり」をキーワード化したい。のですが、呉智英夫子の文庫本が行方不明。多分この本にあったのだと思うのですが。

言葉につける薬 (双葉文庫―POCHE FUTABA)

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