蜀犬 日に吠ゆ

2009-08-08

孔子

[]孔子 21:34 はてなブックマーク - 孔子 - 蜀犬 日に吠ゆ

 昔のノートの間から、たくさんの落書きの紙が出てきましたので掲載してみる。見て書いたのに元ネタがきっと分からないだろうという独創的画風。最近は落書きしていないのでさらに駄目になったことでしょう。

紹介文もついています。

彼は周を理想とする復古主義者。十哲をはじめとする弟子をつれて遊説の旅をした。

 自分で書いておいてケチをつけるのもおかしな話ですが、この説明も、間違ってはいないんですが…センターに出るのはもっと違う部分のような記がします。


[][][][]述而第七を読む(その1) 23:24 はてなブックマーク - 述而第七を読む(その1) - 蜀犬 日に吠ゆ

述べて作らず

 述而第七(148~184)

148 子曰。述而不作。信而好古。窃比於我老彭。

(訓)子曰く、述べて作らず、信じて古を好む。窃(ひそ)かに我が老彭に比す。

(新)子曰く、私の目的は祖述するにあって、私個人の創作ではない。十分な自信を以て、伝統の中に不変の良さを見出す。そう言えば前代にも老彭という人があって、私の理想通りに行ったそうだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 老彭は未詳。一人の名なのか老・彭という二人なのかも不明。

老彭――殷王朝の賢大夫。鄭玄の注で老聃(老子のこと)と彭祖(堯のころ数百歳の長寿者)のこととするほか、異説が多い。

金谷治『論語』岩波文庫

昔、殷の代に老彭という賢人があって、古人の言ったことを伝えてこれを述べ深く信じ篤く好んだ

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

(同じくそのようにしたと伝えられる)老彭になぞらえている。

加地伸行『論語』講談社学術文庫

私に先んずる人間として、老彭がある。老彭は、古注に引く包氏の説によれば、殷の賢大夫、すなわち周王朝に先だつ殷王朝の、すぐれた政治家であって、かれもまた私と同じ態度であった。私の心がまえは、かつての老彭のそれに似たものとして、比較しうるであろう

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 述べて作らず。こっそり孔子に比す。


人を誨えて倦まず

 述而第七(148~184)

149 子曰。黙而識之。学而不厭。誨人不倦。何有於我哉。

(訓)子曰く、黙してこれを識り、学んで厭わず、人を誨(おし)えて倦まず。我に於いて何かあらんや。

(新)子曰く、口には出さぬが目でちゃんと見抜く。知識欲が旺盛で満足することがない。いくら人に教えても疲れるということを識らぬ。私という人間でも、こういう事なら苦もなくやって見せる。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 これも解釈は平明のようですが、いろいろな角度から読み取ることができ、それぞれに含蓄が感じられる章句ですね。


 最後の「何有於我哉。」は、宮崎先生の解釈が普通。金谷先生は「(それぐらいは)わたくしにとって何でもない」として、「何」の字を活かしていますね。

 別な解釈として、宇野先生は

わしは自ら反省してみるのに、この三つのうちのいずれも出来てはいないのである。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 という、謙遜の句であると解釈しています。加地先生によればこれは朱熹の『集注』の「そのどれについても私にはない」の解釈にもとづくものでしょう。他にも、何晏の『集解』では「他人にはなく、私だけにある」とし、経学攷究会の『解説批判論語講義』では「これ以外、自分に何の取るところもない」とします。

 分類するなら、孔子の自負がつよい順に、

  1. 他人にはなく、私だけの徳だ。
    • 何晏の『集解』
  2. こうしたことは、私にとって何でもない。
    • 金谷先生、宮崎先生、吉川先生などはこのあたりの解釈。
  3. これ以外、自分に何の取るところもない
    • 経学攷究会の『解説批判論語講義』、加地先生はこっちより。あと仁斎。
  4. いずれも私には出来ていない。
    • 朱子とか宇野先生。

 となるでしょう。

 しかし、1はともかく、3、4は解釈としてすこしおかしい気もします。それは、公冶長第五、119 丘の学を好むにでも説明されたように、学問を追究することを孔子は己のもつ最高級の美徳であると自ら誇っているからです。3だと、まるでもっと他にすべきことがあるかのようですし、4ですと矛盾してしまいますよね。あるときは「俺は世界で一番の学問好きだ」といい、またあとで「全然勉強できてないなあ」というのでは。

 謙遜と解釈するのは、そういう状況の説明があれば、もちろん孔子がそういう発現をすることもあるのでしょうけれども、説明なしで解釈するかぎり、1、2といった解釈のほうが妥当そうです。


 「黙而識之。」黙っていてもちゃんとお見通し、もしくは識は覚えておく、という徳目。これは、仕事の時、自分の役割以上のことにくちを差しはさむのは、聞かれないかぎり遠慮しておく。しておきつつもしっかり見るべき物は見ておく、という態度のことでしょうね。儀式の采配(とか親睦会の幹事)など、次は自分の番になるかもしれないという目で見ておくのと、自分は参加するだけだからとわいわい騒ぐのでは、大きな差があることでしょう。


 「学而不厭。」学んで学んで厭がるということがない。学を好む孔丘ということですから、これを逆からいえば知識欲が旺盛で満足することがない、となるのでしょうが、それは孔子にとって当たり前な事のようにも思えます。むしろ、式典などの状況を想像するに、知ったかぶりの教えたがりのありきたりな知識にも、きちんと耳を傾けるのが「不厭」であると、考えられます。八佾第三、55 子、太廟に入り、事ごとに問うにあるように、分かりきったことでもきちんと確認する態度が、礼であるわけですが、それを「学而不厭」と表現したのではないでしょうか。


 「誨人不倦。」『孟子』離婁章句上、「人の患は、好んで人の師となるにあり。」とあるくらい、自分より劣った(と決めつけている)相手に知識をひけらかしてせこい優越感を満足させるくらいに素敵な娯楽はありません。それが権力(やときには暴力)関係で反論を封じた上でのことであればなおさらです。しかし、当代最高の教育者であった孔子がそのようなことに気づかないはずはないので、誨えるのが嫌な状況においても、という意味にとるのがいいと思います。例えば、またしても職場。いよいよ自分が采配をとることになったとき、部下たちや同僚たちに仕事の手順を説明する。聞いている方も素人ではないので、「あんたの話くらいもうしってるよ」「おれたちをバカにしてんのか」とうんざりの表情をされてしまいます。そういうとき、小人は「じゃああとはマニュアルで確認しておいて」とか「まあ例年通りですからよろしく」などといってそのばを過ごしてしまいがち。しかしそのマニュアルが、例えば去年失敗したところを訂正していないまま引き継いだものであったりして鬼門。例年通りといいつつ毎年少しづつ変わる部分もあるわけでして、式典の直前に倉庫から看板を引っぱりだしてみたら年度の表示が当然去年のままだったりすることもないわけではないのです。で、失敗したらおきまりの責任のなすりあいと、うやむやで総括のないままの引き継ぎ。失敗の歴史は繰り返す、という次第。ですから、あたりまえのことをいいやがってという冷たい視線に絶えつつしっかりと部下を指導する、それが「誨人不倦」なのではないでしょうか。