蜀犬 日に吠ゆ

2009-08-09

蔡倫

[][][][]述而第七を読む(その2) 15:38 はてなブックマーク - 述而第七を読む(その2) - 蜀犬 日に吠ゆ

徳の脩まらざる

 述而第七(148~184)

150 子曰。徳之不脩。学之不講。聞義不能徒。不善不能改。是吾憂也。

(訓)子曰く、徳の脩(おさ)まらざる、学の講ぜられざる、義を聞いて徒(うつる)能わざる、不善の改むる能わざる、是れ吾が憂えなり。

(新)子曰く、道徳が身につかなくているではないか。学問が進まぬのではないか。正しいことを知りながら同調せぬことはないか。悪と知りながら改めずにいることはないか。これらのことを私はいつも内心警戒しているのだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 ですからこれは逆(本当は裏?)にすれば日々精進するときの心構えとなるのですよね。曰く、

  • 道徳を修養すること
  • 学問をつづけること
  • 正しい場所に身をおき、正しい意見に賛成すること
  • 悪を改めること

申申如也、夭夭如也

 述而第七(148~184)

151 子之燕居。申申如也。夭夭如也。

(訓)子の燕居するや、申申如たり、夭夭如たり。

(新)孔子は自宅で休息している時は、のびのびと屈託なく、うきうきと楽しそうに見えた。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 家に帰ればリラックス。もちろんのこと心の欲する所に従って矩を踰(こ)えずですから、「やりたい放題」というわけではないでしょう。また、顚沛にも必ず人とともにあったことでしょうが、孔子の儒というのは規律を崇めるのではなくて、状況に応じた徳の道なのですから、くつろいだ時にはくつろいだ仁の実践があるということなのでしょう。