蜀犬 日に吠ゆ

2009-08-19

グレゴリウス7世

[][][][]述而第七を読む(その7) 20:39 はてなブックマーク - 述而第七を読む(その7) - 蜀犬 日に吠ゆ

子は喪ある者の

 述而第七(148~184)

156 子食於有喪者之側。未嘗飽也。子於是日哭。則不歌。

(訓)子は喪ある者の側に食するときは、未だ嘗て飽かざるなり。子、是の日において哭すれば、則ち歌わず。

(新)孔子は喪に服している者の側では、食事をしても形ばかりに止めた。哭の礼を行ったその日の間は、音楽にあわせて歌うことをしなかった。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 前半と後半は別々の事例と見ることもできましょうし、「葬礼における一般常識」としてまとめることもできるでしょうね。もしくは、葬式の席では飽食せず、葬式の場では歌ったりしないという礼儀があって、孔子はさらに、「(葬式の場でなくとも、)喪に服した人の側では飽食せず、(葬式から帰ってきても)哭礼に参加した日はずっとうたわなかった」のかもしれません。

 宇野先生は、これを単に礼ではなくて、孔子は、死んだ人のことを思うと胸がいっぱいになって食べたり歌ったりできなかったとしますが、そこまではわかりません。


暴虎馮河

 述而第七(148~184)

157 子謂顔淵曰。用之則行。舎之則蔵。惟我与爾有是夫。子路曰。子行三軍則誰与。子曰。暴虎馮河。死而無悔者。吾不与也。必也臨事而懼。好謀而成者也。

(訓)子、顔淵に謂いて曰く、これを用うれば則ち行い、これを舎(お)けば則ち蔵(かく)る。惟だ我と爾とのみ是れあるかな。子路曰く、子、三軍を行(や)らば則ち誰と与(とも)にせん。子曰く、虎を暴(う)ち河を馮(わた)り、死して悔いなき者は、吾れ与(くみ)せざるなり。必ずや事に臨んで懼(おそ)れ、謀を好んで成す者なり。

(新)孔子が顔淵に向って言った。用いられれば働き、罷(や)めさせられれば引込んで音もたてぬ。これは私とお前だけにできる芸当だ。(また別の時に)子路曰く、先生がもし三軍の大将になられたとしたなら、誰を副官に使われますか。子曰く、虎と格闘したり、黄河を泳いで渡ろうとしたり、冒険と心中して省みないような人間は、私は加勢に頼みたくない。もし頼むなら、それは実行の前に慎重に熟慮し、万全の計画をたてて成功を期するたぐいの人間だ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 世に受けいれられるのであれば大いに道を行い、そうでなければじっとしている。こうした進退自由さは、なかなかできるものではありません。という前半は、いつもの顔回Love。衛の国には史魚と蘧伯玉という二人がいたにもかかわらず、「君と余だ!」(ごろぴかっ!)と言ってしまうくらいLove。

 衛霊公第十五

 子の曰わく、直なるかな史魚。邦に道あるにも矢の如く、邦に道なきも矢の如し。君子なるかな蘧伯玉。邦に道あれば則ち仕え、邦に道なければ則ち巻きてこれを懐にすべし。

金谷治『論語』岩波文庫

 蘧伯玉は孔子に使いを出した(憲問第十四)くらいで同時代人ですが、このときは、(顔回かわいさの余り)眼中になかったのでしょうか。


 後半。子路は、質問をしたのではなくて自分に箔をつけてもらおうと「都合のいい言葉を引き出そうとした」ので、孔子の皮肉な返しを受けてしまった、という話。これもあとで「桴」のフォローが入ると考えると、子路Loveということになるのでしょう。