蜀犬 日に吠ゆ

2009-08-25

[][][]バロネス・オルツィ 西村孝次訳『紅はこべ』創元推理文庫 20:52 はてなブックマーク - バロネス・オルツィ 西村孝次訳『紅はこべ』創元推理文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

 1905年に発表された冒険もの。

紅はこべ (創元推理文庫 507-1)

紅はこべ (創元推理文庫 507-1)

 1792年。革命の恐怖吹き荒れるパリ。ギロチンに抱かれる宿命の貴族をひそかに逃亡させる謎の存在『紅はこべ』。どんなに厳しい包囲をもやすやすとくぐり抜ける、その正体は?


 パリの北門の関所を固めるグロスピエール軍曹のもとへ、守備隊長が息せき切って駆け込んできた。

 「いま、荷馬車が通ったろう?」

 「荷物の樽を調べましたが空っぽでしたよ。」

 「ばっかもーん! やつが『紅はこべ』だ! 早く追え~~!」


 当然、この隊長こそが紅はこべなのである。

 「危くどころか! すっかり止まってしまった、じゃありませんかね――ええ――先生――あの――ショーヴェルタン先生?」

バロネス・オルツィ『紅はこべ』創元推理文庫

 「失礼ながら――ショーヴランでございますが」

 「これはどうも――まことにご無礼申しまして。さよう――むろんショーヴランさんでしたな……どうも……外国のかたの名前はさっぱり苦手でしてね……」

バロネス・オルツィ『紅はこべ』創元推理文庫

 ニヤリ! 相手の名前をわざと間違えて冷静さを失わせている! とんだ策士だぜ……『紅はこべ』……


 20世紀初頭の作品ということですから粗もたくさんあり目立ちます。

  • ご都合主義
    • ひどい。捕虜の扱いとか、そもそも主人公とヒロインのなれそめとか、この話のためにつくった設定だろうといわざるを得ません。
  • 主要人物以外の登場人物が書き割り的。
    • 話の都合で登場したり退場したり、また何を考えているのかほとんど示されないで上官の指示に従うだけとか、そんなのばっかり。そのおかげで話がサクサク進むのですが。
      • たとえばアンドルー・フォークス卿とアントニー・デューハースト卿はどっちがどっちか区別がつかず、またそれで読むのに支障がありませんでした。
      • ドガは、別に固有名がなくても「警備隊長」あたりで十分だったし。
      • ド・トゥルネーは登場人物紹介欄に奥さんの紹介しかでていません。実際伯爵は小屋の中にいる(らしい)とか船に乗っている(らしい)とか伝聞でしか登場しないので、消化しようがないのです。
  • 女がバカ
    • というか何か行動するのはヒロインであるマルグレーテだけですので、マルグレーテが頭悪いという話です。ただ、作者も、マルグレーテがバカなのは女だからだ、といっちゃってるあたりがおかしい。
      • これは時代的な事を考えても、作者が女性なのだからもちっとなんとかして欲しかったです。ヒロインであるマルグレーテが「ヨーロッパ一の賢才」を謳われているというのに、舞踏会の主役になることは得意でもひとたび冒険となると全くの無力に。だったら初めから「宮廷の中にあってこそ華開く才能」とかなんとかいう設定でよかったのではないでしょうか。

 物語は、「紅はこべ」の正体をめぐるミステリ仕立ての前半と、フランスで貴族の脱出をめぐるアクション場面の後半に分かれています。それぞれ見せ場も多く、というか見せ場の連続というふうなので上記のような点も、読んでいる間は気にせず進めることができました。


  1.  パリ、一七九二年九月 8
  2.  ドーヴァー、「猟師の宿」 20
  3.  亡命者たち 33
  4.  「紅はこべ」 45
  5.  マルグリート 57
  6.  一七九二年の伊達男 65
  7.  秘密の果樹園 79
  8.  全権大使 89
  9.  奇襲 105
  10.  オペラの席で 114
  11.  グレンヴィル卿の舞踏会 136
  12.  一枚の紙片 146
  13.  あれか――これか 158
  14.  正一時 162
  15.  疑い 174
  16.  リチモンド 182
  17.  わかれ 202
  18.  ふしぎな模様 213
  19.  「紅はこべ」 219
  20.  同志 233
  21.  不安 243
  22.  カレーの港 255
  23.  希望 269
  24.  死の罠 280
  25.  鷲と狐 290
  26.  ユダヤ人 302
  27.  追跡 317
  28.  ブランシャール神父の小屋 328
  29.  罠にかかる 341
  30.  帆船 348
  31.  脱出 366

[][][][]述而第七を読む(その12) 21:19 はてなブックマーク - 述而第七を読む(その12) - 蜀犬 日に吠ゆ

我に於て浮雲の如し

 述而第七(148~184)

162 子曰。飯疏食飲水。曲肱而枕之。楽亦在其中矣。不義而富且貴。於我如浮雲。

(訓)子曰く、疏食(そし)を飯(くら)い水を飲み、肱(ひじ)を曲げてこれを枕とす。楽しみ亦た其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我に於て浮雲の如し。

(新)子曰く、冷や飯をかきこみ、水を飲んで汁の代りとし、肱を曲げてその上に頭をのせてねる。そういう生活の中から楽しみが自然にわいて出るものだ。人に迷惑をかけて金をため、胡麻をすりながら地位を得ている人は、私から見るとそんなものは流れ雲みたいな不安なものだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 ちなみに「水」は、日本のように生水を生活飲料水に使えない中国のことですから湯、あるいは湯冷ましであったことでしょうね。中国の歴史は、悪い水を油で征服する歴史だったのだ、と、『醤R』で読みました。

水の字は日本語のミズのように、必ずしも冷水のみを意味せず、加熱した水、すなわち日本語の湯、白湯も、水であること、現代中国語と同じであろう。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 「湯」はスープですからね。


 貧しくても、もちろん富の中にあっても道を踏み外さないことが重要なのであって、貧しくて楽しいなあ、という意味でないことは、道を楽しみ、礼を好むにあります。不義うんぬんとあわせて考えるなら、悪いことをしたり人に迷惑をかけるくらいなら貧しい暮らしで十分楽しいよ。という意味に考えられるでしょう。

 道が求められてもかたくなに隠遁しつづける老荘思想とは、その点が異なり、自分の能力や志が生かせるのであれば生かしましょうという意識をつねにもち、貧しくとも道に従うことが大切であるわけです。


易を学ばば、以て大過なかるべし

 述而第七(148~184)

163 子曰。加我数年。五十以学易。可以無大過矣。

(訓)子曰く、我に数年を加え、五十にして以て易を学ばば、以て大過なかるべし。

(新)子曰く、私はもう数年長生きして、五十になったら、易経の勉強にかかりたい。そしたら一生を大過なく過ごせるというものだろう。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 文章の解釈は、とくに五十を「卒」とする、易を「亦」と読むとするあたりは難しいので宮崎先生に従っておきます。

 孔子略年表をみるに五十歳手前の孔子は、一度目の遊歴から魯に帰って教育に力を入れているころで、春秋の編纂もしていたのでしょうけれども、新たな目標として「易」を視野に入れ始めた、ということでしょうか。魯の空位時代が終わり、陽虎が専横を始める前であれば、国情も安定し、孔子は教育と研究に人生の重心を移そうとしていたのかもしれません。


 いちおう、文字が異なる場合の解釈。

 易が「亦」。

「わたくしがもう数年たって、五十になってから学んだとしても、やはり大きな過ちなしにゆけるだろう。」

金谷治『論語』岩波文庫

 五十の手習い、説。

 五十が「卒」

 もし天がわしに数年の命を与えて易を学ぶ仕事を卒(お)えさせるならば、天地間の一切の道理を研究し尽くすことができて、大きな過ちをしないようになるであろう。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 太極図、説。


子の雅言するところ

 述而第七(148~184)

164 子所雅言詩書。執礼皆雅言也。

(訓)子の雅言するところは詩、書。礼を執るも皆な雅言なり。

(新)孔子が標準語を用いて誦するのは詩経と書経である。なお礼を執行する間の言語も標準語であった。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 中国は土地が広いので、古来、方言が多い。儒教は当時にあっては、言わば国際的な教養で、最も広く通用する周の発音を標準語として教育に用いた。雅言は古雅な言語を意味し、同時に国際語であった。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 『詩経』でも、周王朝の貴族社会の詩が「小雅」「大雅」として編まれているので、雅言は、そうした言葉遣いのこととしてよいでしょう。

 中国の話にはあまり方言をバカにするようなことが、「三国志」だの「水滸伝」でも見受けられないような感じを持っていますが、地方差別的な表現はあるので、言葉についても上下関係はあったことでしょう。教育の場、公式の場で使うべき言葉遣いも、当然孔子教団が学ぶべき科目だったのでしょう。