蜀犬 日に吠ゆ

2009-08-27

[][][][]述而第七を読む(その1420:20 はてなブックマーク - 述而第七を読む(その14) - 蜀犬 日に吠ゆ

古を好み

 述而第七(148~184)

164 子曰。我非生而知之者。好古敏以求之者也。

(訓)子曰く、我は生まれながらにしてこれを知る者に非ず。古を好み、敏にして以てこれを求めし者なり。

(新)子曰く、私は生まれながらに知識をもっていたわけではない。古代の理想社会を慕い、こまめに知識を追求した結果なのだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 孔子の人生観は、 陽貨第十七にありますように

 先生がいわれた、「生まれつきは似かよっているが、しつけ(習慣や教育)でへだたる。」

金谷治『論語』岩波文庫

 です。


 学問は、先人の知見を土台にして初めて新しい、高い領域に進むことができます。一足飛びに近道することはできません。王道なしです。


 しかし世の中には、「俺はこんなに努力してるけど報われない、あいつは楽して設けてずるい」的な声がひきもきらないわけで、孔子もそんなふうに言われたのではないでしょうか。優雅に泳ぐ白鳥の、水面下を見てもらいたいものです。


子不語

 述而第七(148~184)

165 子不語怪力乱神。

(訓)子、怪・力・乱・神を語らず。

(新)孔子は怪奇、暴力、背徳、神秘なことを話題にしなかった。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 逆に言えば、こういう内容を嬉々としてして語るメディアは社会の木鐸としてふさわしくないということですね。自戒自戒。

 怪力乱神とは何か? という部分では解釈がいくらか分かれそうですけれども、「不合理」とか「無駄話」の範囲を指すということで。

 そういえば、

子不語〈1〉 (東洋文庫)

子不語〈1〉 (東洋文庫)

 これを読めば怪力乱神がわかるかもです。


三人行えば必ず我が師あり

 述而第七(148~184)

166 子曰。三人行。必有我師焉。択其善者而従之。其不善者而改之。

(訓)子曰く、三人行えば、必ず我が師あり。其の善きを択んでこれに従い、其の善からざる者にしてはこれを改む。

(新)子曰く、三人で同時に行動すれば、きっとその間に得る所がある。善い行為があればそれを採って自分の手本にし、悪い行為を見たなら、我が身にあった同じ欠点を改めるようにする。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 文意としては里仁第四賢を見ては」と共通するものがあります。


 というわけで、「師」とは、教壇からえらそうなことをいう人(これはスコラの伝統)ではなくて、「他人の模範になるべき人物」であることがわかります。「医師」は偉いのだから「看護師」も同じくしろ、というのは、言葉の使い方としては疑問があるでしょうね、理念は正しいのですが。

 「反面教師」という言葉も、生徒からすれば当然。その気さえあれば、誰からでも、どこからでも学ぶことはできるということでしょう。