蜀犬 日に吠ゆ

2009-08-30

[][][][]述而第七を読む(その16) 21:12 はてなブックマーク - 述而第七を読む(その16) - 蜀犬 日に吠ゆ

子は四を以て教う

 述而第七(148~184)

171 子以四教。文。行。忠。信。

(訓)子は四を以て教う。文・行・忠・信。

(新)孔子は四つのことを教えた。表現力の文、実践力の行、個人に対する徳義の忠、及び社会上のルールである信。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 この四つは、いろいろ解釈が分かれる様子。

 先生は四つのことを教えられた。読書と実践と誠実と信義である。

金谷治『論語』岩波文庫

 老先生は、四部門に基づいて教育された。すなわち、文芸(学問知識)・徳行・(他者への)誠意・信義(言行の一致)である。

 形 式内 容
自己に対して知識・学問(文)道徳・修養(行)
他者にたいしてまごころの表現(忠)まごころの実質化(信)
加地伸行『論語』講談社学術文庫

(語釈)○文=詩書礼楽の類をいう。 ○行=実際に践(ふ)み行うこと。 ○忠=誠心(まごころ)をつくすこと。 ○信=事を行うのに偽りのないこと。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 孔子の教育は、四つのことを重点とした。学問、実践、誠実、信義。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 大きく変わるわけではありませんが、加地先生の表がわかりやすいですかね。自己を高めるために「文・行」、社会に出ては「忠・信」であれというのが、孔子の教えであったのでしょう。


聖人は吾れ得てこれを見ざらん

 述而第七(148~184)

172 子曰。聖人吾不得而見之矣。得見君子者。斯可矣。子曰。善人吾不得而見之矣。得見有恒者斯可矣。亡而為有。虚而為盈。約而為泰。難乎有恒矣。

(訓)子曰く、聖人は吾れ得てこれを見ざらん。君子者を見るを得ば、斯(ここ)に可なり。子曰く、善人は吾れ得てこれを見ざらん。恒(つね)ある者を見るを得ば、斯に可なり。亡くして有りと為し、虚しくして盈(み)てりと為し、約にして泰と為さば、恒あること難いかな。

(新)子曰く、超人的な存在たる聖人に私がお目にかかれないのは現今の時勢としてはやむをえまい。せめて私は教養を十分にそなえた文化人である君子にぜひ会ってみたいと思っている。また別の時に孔子が言った。底ぬけの正直者の善人には到底お目に掛れそうもないのは是非もないが、せめて責任感の強い人に会えたら満足に思う。実体のないものを有るとごまかし、内容の空虚なものをいっぱいあるとだまし、貧弱なものを豊富なように見せかける人に、責任のとれたためしはない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 聖人たるべしとかいうわりにこの世に聖人などいないと言うのは、孔子の理想主義というよりも修養を重んじる態度を表しているのではないかと思います。人は、一足飛びに聖人となるのではなくて、日々の精進と巧夫のなかで次第に聖人に近づくものでありますから、聖人そのものでなくてもその途上にある人に出てきてもらいたい。善人ではなくとも、いつも同じ態度を貫く人がいてほしい、というのでしょう。

 実際の世の中は、持っていないのにあるといい、空っぽなのにたくさんあると言い張る見栄っ張りばかりであると。