蜀犬 日に吠ゆ

2009-08-31

[][][][]述而第七を読む(その17) 19:47 はてなブックマーク - 述而第七を読む(その17) - 蜀犬 日に吠ゆ

釣りして綱せず弋して宿を射ず

 述而第七(148~184)

173 子釣而不綱。弋不射宿。

(訓)子は釣りして綱(あみ)せず。弋(よく)して宿(やどり)を射ず。

(新)孔子は魚をとるのに(多獲が目的でなかったから)、一本釣りをするが、網を用いることがない。鳥を捕えるには、飛ぶ鳥をねらって射ぐるみで落すが、巣ごもりの鳥をいることをしなかった。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 綱は恐らく網の誤りであろう。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 なんとなく、宮崎先生は悩みとかなさそうでうらやましいです。

 綱のままで解釈する場合は、『古注』が引く孔安国が、本朝でいうところの「はえなわ」、一本の縄に間隔を開けた糸と針がついていて、一度に多くを釣る漁具であるとします。

 弋(よく、いぐるみ)というのは矢の後ろに糸をつけ、射止めるとその糸が翼に巻き付いて鳥を落とすやり方、だそうです。


 さて一体、これは何の話なのでしょうか。宇野先生の解説を読みます。

 この章は門人が孔子は物を取る時にも物を愛する心が含まれていたことを記したのである。

 孔子は網を用いて魚を尽く取るのに忍びず、寝ている鳥を不意打するに忍びないのである。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 これは賛成しかねる解釈です。魚はとにかく、鳥は、飛んでる時でも不意打ちでしょうから。


 吉川先生の解説。

 新出の鄭注に「皆な万物を長(の)ばし養う為めなり」という。インドの教えのように、絶対に殺生を禁ずるという立場から見れば、不徹底な態度のようであるが、不徹底なところに、かえっって心づかいの細かさが見られる。

 なお、徂徠は、これは孔子が、家の祭祀のために、鳥や魚を必要としたときに、した行為であるとする。そうして天子諸侯が祭祀の供物を得るために狩猟する場合は、鳥獣のすべてを取りつくさないという規定が、「礼」にあるが、それを小規模に実践したのだとする。徂徠は、「礼」を、社会生活の秩序と平和を維持するための律法と見、かつ孔子の教えは、つねに「礼」を意識しつつ述べられていると、主張する。ここも、徂徠のその態度の表れであり、説の当否はともかくとして、その説は、物茂卿(ぶつもけい)という名をかかげて、劉宝楠の「論語正義」に引かれている。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 こちらの方がしっくりきます。

 ただ、私の考えを述べさせてもらうなら、孔子は天子諸侯の「礼」を律法と見ていたというのは大げさではないかと考えます。「礼」は「礼」であり、まさにその「礼」を学ぶのが孔子の教えであったはずですから。

 しかも孔子は、その「礼」を尊重するに当たって「形式」ではなく「心」に注目する立場であること、八佾第三告朔の餼羊にも見られます。天子諸侯が魚を捕るにも鳥を射るにも「取りつくさない」という礼を持っていたとすれば、それは貪欲や放埒をいましめるためであったろうと考えられます。謙譲の美徳のあらわれです。であるなら、仕官をしていない一介の教育者に過ぎない孔子であっても、その美徳を行動にあらわしたのだ、というのが、ありそうな解釈ではないでしょうか。「射」は君子の教養でもあったことですし。


 一方、弟子たちや庶人が漁や射を行うとき、孔子はどうしたでしょう。おそらく、魚を売って生活する職業の人が網を使い、鳥を捕って口に糊している人が鳥の巣を狙っても、孔子はそれを是としたのではないでしょうか。狩りの、スポーツ的な娯楽要素に溺れたり、売りさばけないほど乱獲したりすることはいましめたでしょうけれど、人にはそれぞれ分相応があり、君子の相応とは、網せず宿を射ず、であったのでしょう。


多聞多見

 述而第七(148~184)

174 子曰。蓋有不知而作之者。我無是也。多聞。択其善者而従之。多見而識之知之。次也。

(訓)子曰く、蓋(けだ)し、知らずして之を作る者あらん。我は是なきなり。多く聞き、其の善き者を選んでこれに従う。多く見てこれを識るは、知るの次なり。これを識りこれを知るは次なり。

(新)子曰く、ことによれば世上には、古語にあるように、自覚せずしてしかも立派な成績を挙げている者があるかも知れない。しかし私はそれとは違う。私は先輩の教えを方々聞いてまわって、その中の善い者を選んでそれを真似るのである。その次の方法は、多く自分の目で見てあるいて、心にそれと悟るのである。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 久しぶりに通説の削除。

 不知而作は恐らく古語の引用であろう。詩経、大雅、桑什に、予豈不知而作、という句がある。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 述而第七述べて作らずのときの「作」とは違うということですね。そっちの作も「でっかいことやる」意味だったりするかもしれません。

 また、

丁度この通りの句はいま探し得ないが、詩経、大雅、皇矣に、不識不知順帝之則、識らず知らず、帝の則(のり)に順(したが)う、という句があり、同義語の識と知が重複して使われることがあったことを示している。次也という二字一句の用法は429に見えている。普通にこのところを識之、で句を切り、そのたと、知之次也、を四字一句に読むのは不自然に思われる。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 金谷先生の解釈が、いわゆる通説なのでしょうか。

 先生がいわれた、「あるいはもの知りでもないのに創作する者もあろうが、わたくしはそんなことはない。たくさん聞いて善いものを選んで従い、たくさん見ておぼえておく。それはもの知り(ではないまでも、そ)の次ぎである。」

金谷治『論語』岩波文庫

 述而第七述而不作から単純に考えるなら、「知りもしないで書き散らかし、吹聴してまわる、そういう人もいるだろうが」と解釈していいのではないでしょうか。

 後半の解釈は、いずれにしても里仁第四賢を見ては、や述而第七三人行などからも、孔子の学びの姿勢は周囲のよい人や、歴史上の偉人を真似る所にあったというのと同じことを述べていると見てかまわないでしょうね。


 ところで、私は「多聞」は仏教用語だと思ってましたが、論語にこんな出典があったとは…。「多見」と対になっているとは知りませんでした。