蜀犬 日に吠ゆ

2009-09-03

[][][][]述而第七を読む(その20) 20:59 はてなブックマーク - 述而第七を読む(その20) - 蜀犬 日に吠ゆ

君子は党せず

 述而第七(148~184)

177 陳司敗問。昭公知礼乎。孔子曰。知礼。孔子退。揖巫馬期而進之曰。吾聞君子不党。君子亦党乎。君取於呉。為同姓。謂之呉孟子。君而知礼。孰不知礼。巫馬期以告。子曰。丘也幸。苟有過。人必知之。

(訓)陳の司敗問う。昭公は礼を知るか。孔子曰く、礼を知る。孔子退く。巫馬期に揖してこれを進めて曰く、吾れ聞く、君子は党せず、と。君子も亦た党するか。君は呉より娶り同姓たり。これを呉孟子と謂えり。君にして礼を知らば、孰(た)れか礼を知らざらん。巫馬期、以て告ぐ。子曰く、丘や幸なり。苟(いやし)くも過ちあれば、人必ずこれを知らしむ。

(新)陳の国の司敗が孔子に質問した、魯の昭公は礼を知る人ですか、孔子が対えて曰く、礼を知る人です。孔子が退出した。司敗が巫馬期に笏(しゃく)で合図をして近くへ呼びよせて曰く、私は、教養の高い君子というものは、仲間賞めをしない、と聞いていたが、貴方がたのような君子連でも仲間賞めをするのでしょうか。魯君は呉の国から夫人を迎えたが両国は同姓の間柄です。従って夫人は普通なら孟姫というところを、姫の字を避けて呉孟子とよんでいるといいます。魯君が礼を知る人であったなら、いったいこの世に礼を知らぬ人がいるでしょうか。巫馬期がこの話を孔子に告げた。子曰く、私は仕合せにも、過失があった時には、きっと人がそれを知らせてくれる。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 司敗とは司寇のことで、陳や楚での官名。

孔子は、昭公が、同姓の婦人を娶ったという非礼をもとより充分承知していたが、祖国の君主の恥じをかくすために、わざと、「礼を知る」とこたえたのであり、この心づかいを知らない陳の司敗が、あげ足とりをしたのに対し、「丘や幸なり」云云と、含蓄ある言葉を吐いたとする。私も、それでよいと思うが、仁斎だけは、聖人にも、過失はないわけではないとし、はじめの「礼を知れり」は、うっかり不注意にこたえた言葉だとする。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 孔子の崇拝者はこういうのも取り繕わなければならないのでたいへんですね。聖人崇拝というのは。

 孔子が退出した途端に巫馬期を近う寄らせたわけですから、ここは司敗がはじめから揚げ足を取るつもりで質問したと考えた方がよいのではないでしょうか。孔子も、主君をけなすか身内をかばうか、どちらにしても失言とされてしまうのであれば、君主の陰口をいうような行いの方をより強く嫌ったということではないでしょうか。

 子路第十三

 葉公が孔子に話した、「わたしどもの村には正直者の躬という男がいて、自分の父親が羊をごまかしたときに、むすこがそれを知らせました。」孔子はいわれた、「わたしどもの村の正直者はそれとは違います。父は子のために隠し、子は父のために隠します。正直さはそこに自然にそなわるものですよ。」

金谷治『論語』岩波文庫

 そうして、批判もなにもすべて自分で受けとめる。これが直(自分の気持ちに正直)というものではないでしょうか。


人と歌って善しとすれば

 述而第七(148~184)

178 子与人歌而善。必使反之。而後和之。

(訓)子、人と歌って善しとすれば、必ずこれを反(かえ)せしめ、而る後、之に和す。

(新)孔子は人が歌うのを聞いてその歌が気にいると、必ずそれをひとりで繰返し歌わせ、次に一しょになってこれを歌うを常とした。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 音楽は、調和の芸術なので、一緒に歌うことに価値があります。だから一度聞かせてもらったら、一緒に練習したのでしょう。不慣れで上手に歌えなくとも、弟子たちの前でそれを隠すことなく、いい歌はいいとする、これが直というものではないでしょうか。