蜀犬 日に吠ゆ

2009-09-06

[][][][]述而第七を読む(その22) 20:59 はてなブックマーク - 述而第七を読む(その22) - 蜀犬 日に吠ゆ

為して厭わず、人に誨えて倦まざる

 述而第七(148~184)

180 子曰。若聖与仁。則吾豈敢。抑為不厭。誨人不倦。則可謂云爾已矣。公西華曰。正唯。弟子不能学也。

(訓)子曰く、聖と仁との若きは、吾れ豈に敢てせんや。抑もこれを為(まね)して厭わず、人に誨えて倦まざるは、則ち云爾(しかり)と謂うべきのみ。公西華曰く、正に唯(しかり)、弟子、学ぶ能わざるなり。

(新)子曰く、超人的な聖人、最高の人格の仁者には私は到底及びもつかぬ。しかしながらそれを理想として学んで厭わず、それを人に教えて怠らぬのは、肯定してもよかろうかと思う。公西華曰く、確かにその通りで、我等弟子どもには真似のできぬ点です。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 こら! 公西華! そこは、及ばないまでも真似するのみですと返すところでしょうが!


 子貢による感想は『孟子』公孫丑章句上 にあります。

昔者(むかし)子貢孔子に問いて、夫子は聖なるかといえるとき、孔子は聖は則ち吾能わず、我は学びて厭わず、教えて倦まざる(のみ)と曰(のた)まえり。子貢(之をきき)学びて厭わざるは智なり、教えて倦まざるは仁なり。仁にして且つ智ならば、夫子は既に聖なりといえりとぞ。

小林勝人『孟子』上 岩波文庫

 聖人の道である、としてしまってはたしかに真似できない境地でしょうけれども、厭わず倦まずというのは本人の心の持ちようですから、「仁は遠からず」としてもらいたいものです。