蜀犬 日に吠ゆ

2009-09-07

[][][][]述而第七を読む(その23) 23:48 はてなブックマーク - 述而第七を読む(その23) - 蜀犬 日に吠ゆ

丘の禱るや久し

 述而第七(148~184)

181 子疾病。子路請禱。子曰。有諸。子路対曰。有之。誄曰。禱爾上下神祇。子曰。丘之禱久矣。

(訓)子、疾(やま)い病(へい)す。子路、禱(いの)らんと請う。子曰く、これありや。子路、対えて曰く、これあり。誄(るい)に曰う、上下の神祇に禱爾す、と。子曰く、丘の禱るや久し。

(新)孔子が病気にかかって重くなった。子路が祈禱を行いたい、と願った。子曰く、何か先例があるかね。子路、対えて曰く、ありますとも。古い誄の篇に、上下の神祇に禱る、と見えています。子曰く、そういう意味でならば、私は自分でずっと前から禱っているのだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 ここは子路ではなくて、本当は子貢の出番でしょう。「そうだ、先生にこの薬を……」薬の名前ど忘れ。


 もちろん誄(るい)とは何なのか、つまびらかではありません。お祈りの文句が載っている文献であろうとされますが、何故かというとこの章句から類推されるわけであります。


「先生、お願いがあります」

 子路は孔子の枕元に近づくと、息をはずませていった。

「なんじゃな」

 孔子は、今まで閉じていた目をかすかに見開いた。

「お禱り致したいのです。先生のご病気ご平癒のお禱りが致したいのです」

「だしぬけに何をいうのじゃ。先王の道には、、そのおうなお禱りはないはずじゃ」

「あります。あります。現に先生がご編纂になりました周礼の中にもそれがあります。誄の言葉です。『爾を天地の神祇(しおんぎ)に禱る』とあります」

 子路は、彼の持っていた本を急いでめくって、孔子に示した。

 孔子は微笑した。しかし、そのまま静かに目をとじてなんとも答えなかった。

「先生!」

 と、子路は少しせきこんでいった。

「実は先生のお叱りをうけるのを承知で、こっそり私だけでお禱りをする決心をしていたのです。ところがお禱りの方法がわかりませんので、先刻からちょっとお暇をいただいて、それを調べておりますうちに、今の言葉が見つかったのです。古の道にもそれがあります以上、なにも先生に秘密でお禱りする必要もないかと存じまして、あらためてお願いに出たのです。先生、どうかお禱りをさせてください。先生のために、われわれ門人のために、そして世界中の人のために。」

下村湖人『論語物語』講談社学術文庫

 下村孔子の魅力は「じゃ」口調。単行本が昭和十三年であったことを考えると、當然「ぢゃ」だったことでしょう。それでいて「おいのり」「おいのり」と受け答えするのがおもしろい。

 ここでは、子路は周礼を用意してそのなかに誄篇があることになっています。それはいいのですが、めくったりページを指ししめしたり、とても竹簡とは思えないあつかいです。和綴じ本なのではないか。

 孔子は大きく目を見開いた。その目は病人の目とは思われないほど強い力に輝いていた。彼は子路の顔をしばらくじっと見つめた。そしていった。

「わしは、お前に禱ってもらわなくとも、わし自身で禱っているのじゃ」

「ご自身で?」

 と、子路は驚いて孔子の顔に自分の顔を近づけた。ほかの門人たちも怪訝な顔をして孔子の目をのぞきこんだ。

「そうじゃ、もう何十年もつづけざまに禱っているのじゃ」

「何十年も?」

「わからぬかな、わしがこれまで禱りつづけて来たのが?」

 門人たちは顔を見合わせるだけだった。孔子は嘆息するように深い息をして目を閉じた。

下村湖人『論語物語』講談社学術文庫

 察しの悪い弟子たち。嘆息するように、ではなくて本当に嘆息であった可能性も高いと思います。

しばらく沈黙がつづいたあと、孔子は目を閉じたままさらにたずねた。

「禱るというのは、そもそも何をすることじゃな」

「それは神々に自分の願いを……」

 孔子は子路のことばをさえぎるように、ふたたび大きく目を見開いた。

「願い? ふむ、その願いというのは?」

「…………」

 子路は、自分の考えどおりの答えをするのに躊躇した。それは、孔子の言葉の奥になにかしら深いものがあるのを、やっと彼も気がつき出したからであった。

 孔子はいった。

 「その願いというのは、私情、私欲から出たものではあってはならないはずじゃ。むしろ私情私欲に打ち克って天地神明の心にかなおうとする願い、そうした至純な願いに生きることこそ、まことの禱りというものじゃ。そうではないかな。」

 子路は石像のようにうなだれて立っていた。

「念のためにいっておくが、わしはけっして天地の神々を否定もしていなければ軽んじてもいない。神々を崇めていればこそ、その御心にかなうために、今日までたゆまず身を修めてきたのじゃ。禱りに禱りぬいたのが私の一生であったと思ってくれ。お前のその本に書いてある誄の言葉も、そのような意味に解してこそ、深い味わいが出るものじゃ。」

下村湖人『論語物語』講談社学術文庫

 と、子路が怒られる、と。