蜀犬 日に吠ゆ

2009-09-10

かってに改蔵

[][]読んでもらう文章論~~三島由紀夫『三島由紀夫レター教室』ちくま文庫 22:51 はてなブックマーク - 読んでもらう文章論~~三島由紀夫『三島由紀夫レター教室』ちくま文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

 三島由起夫の手紙論はブログ論に読みかえることができるでしょうか。

 以下引用。ちくま文庫版ですので新字新かな

 私のところへは、いろいろな手紙が来ますが、特に、文学の勉強をしていると称している人から、私の名前をまちがえられると、その人の文学者としてのこまかい神経を疑いたくなります。

 私の名前はどういうものか、「三島由紀夫」というのを、「三島由起夫」とまちがって書かれることが多い。私は由紀夫であって、由起夫なんていう、だれか知らない人物ではない。「紀」を「起」とまちがえるだけでも、相手の心証を傷つけること大なるものがあります。

 とにかく、こんな小さなまちがいは、文中に述べられたおびただしい敬意を、ニセモノと判断させるに十分だからです。

三島由紀夫『三島由紀夫レター教室』ちくま文庫

 まちがえました。ここは関係なかった。


 手紙を書くときには、相手はまったくこちらに関心がない、という前提で書きはじめなければいけません。これがいちばん大切なところです。

 世の中を知る、ということは、他人は決して他人に深い関心を持ちえない、もし持ち得るとすれば自分の利害にからんだ時だけだ、というニガいニガい哲学を、腹の底からよく知ることです。

 もちろん、この利害という言葉には、お金だけがからまっているわけではない。名誉もあろうし、性欲もあろう。それにしても、手紙の受け取り人が、受け取った手紙を重要視する理由は、

 一、大金

 二、名誉

 三、性欲

 四、感情

 以外には、一つもないと考えてよろしい。このうち、第三までははっきりしているが、第四は内容がひろい。感情というからには喜怒哀楽すべて入っている。ユーモアも入っている。打算でない手紙で、人の心を搏つものは、すべて四に入ります。

三島由紀夫『三島由紀夫レター教室』ちくま文庫

 ブログも、一、二、三の目的がはっきりしているものは悩まずエントリがふえる、のでしょうか。


 さて、さっきも言ったように、受け取り人は、あなたの書く手紙に対して、絶対になんの関心もないという前提で書き出す場合、むつかしいのは、この第四の手紙です。

 第一なら、

「あなたに四千万円進呈するから、明朝十時、S銀行へとりに来るように」

 という、失礼きわまるそっけない文章でも、相手はイソイソと銀行へやってきます。

 第二なら、

「あなたを内閣総理大臣に推挙したいという動きがあるので、赤坂N亭まで明六時にお越しねがいたい」

 と書くだけで、相手の大物は、定刻にピカピカ光るベンツを料理屋の玄関へ横付けにします。

 第三なら、

「あなたが大好きで大好きで、いっしょにホテルへ泊まりに行きたいから、明晩八時に喫茶店Mへ来てくださいね。あなたのP子より」

 と書くだけで、魚心あれば水心、彼は張り切って駆けつけてくれます。

 ですから、第一、第二、第三、までの手紙なら、文例もお手本もまったく不要、どんな悪文でも目的を達することができます。

三島由紀夫『三島由紀夫レター教室』ちくま文庫

 三島由紀夫の文章があまり上等のものでないことはこのあたりからも察せられることでしょうが、とにかく実例が、それはないだろう、とか、バカじゃねえの、とかいうものばかりなのです。しかし読んでいるうちにこういう出鱈目が楽しくてしかたなくなるのが、三島の文章の魅力なのですよね。

 もちろん、こうした下賤の文章はユーモア作品用に選択されたものであるところが、また小憎らしいところなのですが。


 ところが、第四の手紙は、ピンからキリまであって、それぞれ用途や目的がちがって大変です。

三島由紀夫『三島由紀夫レター教室』ちくま文庫

 世の中の人間は、みんな自分勝手の目的へ向かって邁進しており、他人に関心を持つのはよほど例外的だ、とわかったときに、はじめてあなたの書く手紙にはいきいきとした力がそなわり、人の心をゆすぶる手紙が書けるようになるのです。

三島由紀夫『三島由紀夫レター教室』ちくま文庫

 終わり。ほんとうは、その書き方を知りたいのですが、それについては記述がないあたりが、また腹立ちます。それもそれですべて計算なのがまた腹が立つ。

三島由紀夫レター教室 (ちくま文庫)

三島由紀夫レター教室 (ちくま文庫)



[][]世間は狭い、ハーヴァード~~カート・ヴォネガット『ジェイルバード』ハヤカワ文庫 21:07 はてなブックマーク - 世間は狭い、ハーヴァード~~カート・ヴォネガット『ジェイルバード』ハヤカワ文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

 順番を気にしないことにしたので今度はこの作品。

 主人公ウォルターが刑期を終えて出所し、勾留され、また刑務所に入るまでの話。

ジェイルバード (ハヤカワ文庫 SF (630))

ジェイルバード (ハヤカワ文庫 SF (630))

 ヴォネガットの上手なところは、おかしな状況設定へ読者を引っ張り込む導入部分にいかんなく発揮されています。ヴォネガット自身の思い出話から、おそらく創作になる「カイヤホーガの虐殺」という事件を紹介することで、絶望にみちた社会を目の辺りにさせ、主人公ウォルターの異様な出自につなげ、扉「JAILBIERD」をどーんと出す、という寸法です。

 わたしはカイヤホーガの虐殺のことを思った。これはアメリカ労働史上で最も血なまぐさい、罷業者と雇用主との衝突事件である。その事件は、千八百九十四年のクリスマスの朝、カイヤホーガ橋梁鉄工所の正門前で起こった。わたしが生まれるずっと前のことだ。それが起こったとき、わたしの両親はまだ帝政ロシアに住む子供だった。しかし、わたしをハーヴァードにやってくれた男、アレグザンダー・ハミルトン・マッコーンは、工場の時計台の上から、彼の父親と兄のジョンといっしょに、それをながめていた。そのときから、彼は軽いどもりではなくなり、べつになんの不安のないときでも、まるでろれつの回らない言語障害者になったのだった。

 ついでながら、カイヤホーガ橋梁鉄工所は、労働史上を別にして、ずいぶん前からその名を消している。第二次大戦後まもなくヤングタウン製鋼に吸収され、そのヤングタウン製鋼も、いまではRAMJACコーポレーションの一部にすぎない。

 ピース

カート・ヴォネガット『ジェイルバード』ハヤカワ文庫

 ウォルターはもと共産党員。

 アメリカでも、昔は共産主義者がかなり容認されていた時期があった。わたしが共産主義者であることが、ハーヴァードを出たあと、オクスフォード大学のローズ奨学金をかちとる妨げにもならず、さらにそのあと、ローズヴェルト時代の農務省に就職することさえできたのだから。つきつめたところ、とくに大不況がつづき、自然資源と市場をめぐる新しい戦争が起きようとしているときに、青年たちがこんな信念を持ったとしても、どこがいったいおぞましいといえるのか? だれもが能力に応じて働くことができ、そして病人も健康な者も、若者も老人も、大胆な者もおびえた者も、才能のある者もない者も、それぞれの必要に応じて報酬が与えられるような世の中になるべきだ。もしわたしが、こんなことを考えたとしても、だれがわたしを病んだ心の持ち主呼ばわりできるのか? 二度と戦争の必要はない。それには、全世界の人民がこの惑星の富を支配し、自国の軍隊を解体し、国境を忘れさえすればいいのだ。そして、それから先いつまでも自分たちを、全世界の人民の兄弟姉妹であり、父母であり、子供であると、考えつづけさえすればいいのだ。そうした仲のよく慈悲深い社会からはみ出すのは、いつにかぎらず、自分が必要とする以上の富をひとり占めする人間だけだろう。

カート・ヴォネガット『ジェイルバード』ハヤカワ文庫

 スラップスティックでは、主人公は親切を基盤とした社会をつくろうとして文明そのものを破壊してしまいます。この『ジェイルバード』では、主人公は、つねに状況に流されるかたちで罪を犯し、社会をめちゃくちゃにしてゆきます。


 妻のルースはナチス占領を生きぬいたウィーン生まれのユダヤ人。人を、希望を信じない。少し荒木節?

 「それじゃ」と、ルースは鐘の音が薄れるのを待っていった。「あなたがた八つの子供たちがこのニュルンベルクで悪を殺すときは、必ず十字路に埋めて、心臓に杭を打ちこんでちょうだい――でないと、つぎの満月の晩に、きっとまた生き返ってくるわよォォォォォォォォォォ」

カート・ヴォネガット『ジェイルバード』ハヤカワ文庫

 ウォーターゲートに荷担したウォルターは刑務所行きになる。たくさんの犯罪者と、もと犯罪者に会う。

「アメリカで、わしは二度も百万長者になった。いずれまた、百万長者になれるだろう」

「それはたしかですね」わたしは事実そう思っていた。出所すれば、彼はまた性こりもなく、三度目のポンツィ式詐欺にとりかかるだろう――これは前と同様、莫大な利益をエサにして、まぬけなカモに投資をすすめる方法である。前と同様に、彼は集めた金の大部分を着服して、邸宅やロールスロイスや高速モーターボートやなにかを買いこむが、一部分は約束どおりに高率の利子として払いもどすだろう。この利子の小切手を受け取って笑いのとまらない連中の口コミで、もっともっと大ぜいの人びとが寄り集まってくる。彼はその人たちの金を使い、また利子の小切手を何枚も書く――以下このくり返し。

カート・ヴォネガット『ジェイルバード』ハヤカワ文庫

 経済学の初歩しか理解できないわたしだが、いまではこう考えたい気持になっている。うまくいっている政府というのは、どれも必然的にポンツィ式詐欺ではなかろうか。とうてい返せるあてもないのに、莫大なローンをするのだから。それ以外の説明で、外国語の達者なわたしの孫たちに、どうして千九百三十年代の合衆国の状況を納得させることができるだろう。あの頃の経営者や政治家は、自分の下にいる大ぜいの人びとに、食糧や衣料や燃料のような基本必需品を手に入れるだけの収入をさえ、与える方法を知らなかった。一足の靴を買うのが地獄だった!

 それから、とつぜん、前には貧乏だった人びとが、りゅうとした身なりで将校クラブに入り、フィレミニョンやシャンパンを注文するようになった。前には貧乏だった人びとが、小ざっぱりした身なりで下士官クラブに入り、ハンバーガーやビールを注文するようになった。二年前には靴の底にあいた穴をボール紙でつくろっていた男が、とつぜんジープやトラックや飛行機や船と、無尽蔵の燃料や弾薬を持つことになった。そして、もし必要ならメガネや義歯を与えられ、ありとあらゆる伝染病の予防注射を受けることになった。その男がこの惑星のどこにいても、感謝祭やクリスマスには七面鳥のローストとクランベリー・ソースを手に入れられるような、そんな方法が見つかった。

 なにが起こったのだろう?

 これがポンツィ式詐欺でなくてなんだろう?

カート・ヴォネガット『ジェイルバード』ハヤカワ文庫

 そして出所したウォルターは、RAMJACKコーポレーションと関わりを持ち、破綻の引き金を引いてしまいます。

 アメリカは今までのつけを払わされ、その責任を問われたウォルターは再び投獄されますが、気にしません。彼の行動はシンプルな原理にもとづいているからです。その原理は、山上の垂訓


[][][][]述而第七を読む(その24) 22:36 はてなブックマーク - 述而第七を読む(その24) - 蜀犬 日に吠ゆ

其の不遜よりは

 述而第七(148~184)

182 子曰。奢則不孫。倹則固。与其不孫也。寧固。

(訓)子曰く、奢なれば不遜、倹なれば固し。其の不遜よりは寧ろ固かれ。

(新)子曰く、奢侈は傲慢に通じ、倹約は頑固に通ずる。傲慢であるよりは、頑固の方がまだましだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 孔子の教えはこういう、一長一短を選択する実行力に重きを置くところに特徴があります。一見よいとされていることにも悪い面がある。潔癖になって悪い面をさけるなら、結局なにもしないのが一番、人類なんて一度滅んでしまえばよい、という極端に走ってしまうのが若気の至り。中庸の美徳を重んじる孔子教団は、その、人間の存在や行為の不完全であるという現実を受けいれた上でよりよく生きる方策を探るわけです。