2009-09-11
■ [書留][儒教][述而第七][宮崎市定]述而第七を読む(その25) 
君子は坦として蕩蕩たり
述而第七(148~184)
183 子曰。君子坦蕩蕩。小人長戚戚。
(訓)子曰く、君子は坦として蕩蕩たり、小人は
長く悵として戚戚たり。(新)子曰く、諸君は無欲でのんびりしていてもらいたいものだ。欲求不満でくよくよしてほしくない。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫
いつものように、擬態語の意味は未詳ですが、解釈に揺れは無いようですね。
「長」はふつう「とこしえに」とよんで、「いつまでも(くよくよする)」と取りますが、宮崎先生の解釈は「悵」。
長を文字通りに長くと読んでは、上の句の坦と対をなさない。長は悵と同音なので、仮借に用いたに違いない。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫
間違いない。
子は温にして厲
述而第七(148~184)
184 子温而厲。威而不猛。恭而安。
(訓)子は温(おだ)やかにして厲(はげ)しく、威ありて猛(たけ)からず、恭にして安し。
(新)孔子は柔和であると同時に激しい気性を持ち、威厳があるが恐ろしい感じがなく、丁寧を極めながらゆとりがあった。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫
これも中庸の徳。
温厚だからといっても甘えを許さない厳しさがあり、厳しく威厳があるといっても人を恐れさせるようではなく、礼儀正しいからこちらも恐縮するかといえば客に気づかいをさせない安心感があった。安らかで温厚だとはいえ……、と、意味としてはつながっていますね。
以上で、学問を志す者が尊ぶ『論語』上論、孔子が自ら謙遜して、人に教訓した辞や、孔子の容貌や行為等を記した「述而」という第七章は終わる。
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