蜀犬 日に吠ゆ

2009-09-24

[][]かたくなになる心~~林達夫『歴史の暮方 共産主義的人間』中公クラシックス 19:45 はてなブックマーク - かたくなになる心~~林達夫『歴史の暮方 共産主義的人間』中公クラシックス - 蜀犬 日に吠ゆ

 高等遊民はたまに大衆との距離に愕然とする。

時代の暮方――時代と文学・哲学

 時代が大きく膨れ上がったときに垣間見せるbetise*1ないしsottise*2の救い難き底知れなさに衝撃した人間のこころ暗さ! それに抵抗したりそれを弾劾したりする気力も挫けてしまう。私はますます自分が犬儒的(シニック)になり、つむじが曲ってゆくのをどうすることもできない。同じく心を動かされていても、人々と私とでは精神的風土がまるで違うのだ。人なかにいると、私はふと自分が間諜のような気がして来て、居たたまれなくなって席を立ちたくなることがある。何の共感もない。まったく人とは別のことを感じ、また考えているのだから。

 こうして私は時代に対して完全に真正面からの関心を喪失してしまった。私には、時代に対する発言の大部分が、正直なところ、空語、空語、空語! としてしか感受できないのである。私はたいがいの言葉が、それが美しく立派であればあるほど、信じられなくなっている。あまりに見え透いているのだ。私はそんなものこそ有害無益な「造言蜚語」だと、心の底では確信している。救いは絶対にそんな美辞麗句からは来ないと断言してよい。

 流れに抗して、溺れ死することに覚悟をひそかにきめているのである。私は欺かれたくない。また欺きたくもない。韜晦してみたところで、心を同じうする友のすがたさえもはや見別けがつかない今となっては、どうしようもない。選良も信じなければ、多数者も信じない。みんなどうかしているのだ。(あるいはこちらがどうかしているのかも知れない。)こんな頼りにならぬ人間ばかりだとは思っていなかった。私のほうが正しいとか節操があるとかいうのでは断じてない。ありのままの人間とは、だいたいそんなものかも知れないと思わぬでもない。それを愛することがどうしてもできないのだ。それと一緒になることがどうしてもできないのだ。偏狭なこの心持がますます険しくなってゆくのを、ただ手を拱いて眺めているばかりである。


 私がこの世紀のドラマになにを見たかといえば、最も悲惨な人間墜落の comedie humaine*3 だけである。人目を打つかも知れない他の光景などはほとんど目にもとまらぬほど、心の網膜にそれだけが強く焼きつくように映って片時も離れない。歴史がのっぴきならぬ賭であることは私とて知っている。しかし堪らないのは、その一六勝負を傍から眺めながら、それに寒々とした懐中物を賭けて固唾を飲んでいるお調子者である。私は山師たちの必ずしも排斥者ではない。だがケチな山師根性だけはどうにも我慢がならない。哲学とか文学にも charlatanisme があってもよいと思う。だが、今日のそれは? 「誠実」とは由来、山師根性とは切っても切れぬ悪縁のあるものだ。

 私思うに、現代のような逆説的時代には、真の誠実は絶対に誠実らしさの風貌はとりえない。現代のモラリストは、事の勢い上、不可避的にイモラリストとなる。残念ながら、現代日本では、イモラリスト的な風貌をしていたと思われた思想家や作家までが最近ケロリと申し分ないモラリストの姿勢に扮装更えしてしまっている。これも日本的特殊性として称讃すべきことの一つであろうか。

林達夫『歴史の暮方 共産主義的人間』中公クラシックス
歴史の暮方 共産主義的人間 (中公クラシックス)

歴史の暮方 共産主義的人間 (中公クラシックス)


[][][][]泰伯第八を読む(その11) 20:19 はてなブックマーク - 泰伯第八を読む(その11) - 蜀犬 日に吠ゆ

大なるかな、堯の君たるや

 泰伯第八(185~205)

203 子曰。大哉。堯之為君也。巍巍乎。唯天為大。唯堯則之。蕩蕩乎。民無能名焉。巍巍乎。其有成功也。煥乎。其有文章。

(訓)子曰く、大なるかな、堯の君たるや。巍巍たるかな、唯だ天を大なりと為し、唯だ堯のみこれに則(のっと)る。蕩蕩たるかな。民能くこれに名づくるなし。巍巍たるかな、其の成功あるや。煥として、其れ文章あり。

(新)子曰く、偉大なのは堯の君主としてのあり方だ。およそ崇高なものの中で天ほど偉大なものはないが、ただ堯だけがそれを手本にすることができた。あまりに得が広すぎて、人民は形容の言葉を知らぬ。だかrこそ天にも届くほど高い成功を収め、目が眩むほどきらびやかな文化を残したのだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 堯の政治を誉める。「巍巍」といいますから、その徳は天と同じく高かった、「蕩蕩」といいますから、その徳は堯の名を意識しないところにまで広がった、ということではないかと思います。


 鼓腹撃壌の故事は老荘の「無為自然」的文脈に流れてしまいそうではありますが、孔子の説明であれば、その徳があまりに高くあまりに広いので、そう見える、ということになります。君がその力を発揮していないわけではないのです。


 「成功」は堯の政治の達成された高み、「文章」は後世に残した中国の文化制度。


 堯の事跡は以下。

堯の事跡は、「尚書」の「堯典」に見え、すぐれた道徳的能力差であったこと、天象を観測して、暦をととのえたこと、微賤の身分にあった舜を、後継者として抜擢したことなどが、記されている(吉川「尚書正義」「堯典」篇参照)。それらの事跡は、前条の舜、禹に関する事柄とともに、今日の古代史家からは、歴史でなく伝説であるとして扱われているが、孔子のころには、かえって既に、歴史として意識されていたらしい。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 暦を作る、というのは宇宙(空間と時間)に法則をつけるということですから文明の基本であり、古代社会にはほとんど神の領域でした。それが堯に仮託たのですから、中国文明文化の発祥とも見なされるのでしょう。

*1:betize:(名)1愚かさ、ばかさかげん、2ばかげた言動 (母里註)

*2:sottise:(名)1愚かさ、2愚言、愚考(母里註)

*3:comedie humaine:人間喜劇? (母里註)