蜀犬 日に吠ゆ

2009-09-24

[][][][]泰伯第八を読む(その11) 20:19 はてなブックマーク - 泰伯第八を読む(その11) - 蜀犬 日に吠ゆ

大なるかな、堯の君たるや

 泰伯第八(185~205)

203 子曰。大哉。堯之為君也。巍巍乎。唯天為大。唯堯則之。蕩蕩乎。民無能名焉。巍巍乎。其有成功也。煥乎。其有文章。

(訓)子曰く、大なるかな、堯の君たるや。巍巍たるかな、唯だ天を大なりと為し、唯だ堯のみこれに則(のっと)る。蕩蕩たるかな。民能くこれに名づくるなし。巍巍たるかな、其の成功あるや。煥として、其れ文章あり。

(新)子曰く、偉大なのは堯の君主としてのあり方だ。およそ崇高なものの中で天ほど偉大なものはないが、ただ堯だけがそれを手本にすることができた。あまりに得が広すぎて、人民は形容の言葉を知らぬ。だかrこそ天にも届くほど高い成功を収め、目が眩むほどきらびやかな文化を残したのだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 堯の政治を誉める。「巍巍」といいますから、その徳は天と同じく高かった、「蕩蕩」といいますから、その徳は堯の名を意識しないところにまで広がった、ということではないかと思います。


 鼓腹撃壌の故事は老荘の「無為自然」的文脈に流れてしまいそうではありますが、孔子の説明であれば、その徳があまりに高くあまりに広いので、そう見える、ということになります。君がその力を発揮していないわけではないのです。


 「成功」は堯の政治の達成された高み、「文章」は後世に残した中国の文化制度。


 堯の事跡は以下。

堯の事跡は、「尚書」の「堯典」に見え、すぐれた道徳的能力差であったこと、天象を観測して、暦をととのえたこと、微賤の身分にあった舜を、後継者として抜擢したことなどが、記されている(吉川「尚書正義」「堯典」篇参照)。それらの事跡は、前条の舜、禹に関する事柄とともに、今日の古代史家からは、歴史でなく伝説であるとして扱われているが、孔子のころには、かえって既に、歴史として意識されていたらしい。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 暦を作る、というのは宇宙(空間と時間)に法則をつけるということですから文明の基本であり、古代社会にはほとんど神の領域でした。それが堯に仮託たのですから、中国文明文化の発祥とも見なされるのでしょう。