蜀犬 日に吠ゆ

2009-09-29

[][][][]子罕第九を読む(その3) 22:14 はてなブックマーク - 子罕第九を読む(その3) - 蜀犬 日に吠ゆ

麻冕は礼なり

 子罕第九(206~235)

208 子曰。麻冕礼也。今也純。倹。吾従衆。拝下礼也。今拝乎上。泰也。雖違衆。吾従下。

(訓)子曰く、麻冕(まべん)は礼なり。今や純(くろ)し、倹なり。吾は衆に従わん。下(しも)に拝するは礼なり。今や上(かみ)に拝す、泰なり。衆に違うと雖も、吾は下にてするに従わん。

(新)子曰く、白い麻の冠を用いるのは古礼であるが、この頃は黒い冠を用いるようになった。これは倹約であるから、私は流行に従いたいと思う。君主に対して堂の下で拝するのは古礼であるが、近頃は堂に上って拝するようになった。これは傲慢に近いから、流行おくれであっても、私は堂下で拝したい。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 「純」は鄭玄によれば黒い繪(きぬ)であるとされます。普通は「絲(きぬ)」であるとし、二尺二寸のはばの中に、二千四百本のいとのある、目のこんだ麻布であるべきだとされたのですが、手間がかかって現実味がないので絹になったとされます。


 ここから得られる教訓は二つ。

 一つは、礼に定められたきまりは、そのきまりの定められた心を汲んだ上で守るべきであり、細かい形式にとらわれてはいけないのであるということ。

 いま一つは、流行についていくのもいかないのも、君子は自由自在であるということ。どうでもいいことなら、私の好きにさせてもらう、という自由さ。ですよね。どのくらいまでなら妥協して良いか、というと妥協するときは、礼で限度を見極める、となると少し循環気味ですが、逆に礼そのものが、他者との折り合いを見て行うものであるというバランス感覚を重視しているのかもしれません。