蜀犬 日に吠ゆ

2009-09-30

すりこみ

[][]彼我の差~~『たいした問題じゃないが』岩波文庫 23:24 はてなブックマーク - 彼我の差~~『たいした問題じゃないが』岩波文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

 二十世紀初頭を飾ったコラムの選集。本当にたいした問題じゃなかったので驚きました。

たいした問題じゃないが―イギリス・コラム傑作選 (岩波文庫)

たいした問題じゃないが―イギリス・コラム傑作選 (岩波文庫)

 あーあと、A.A.ミルンは、きちんと「イギリスのコラムニスト」と覚え直すのですが、なぜかいつのまにか「ドイツの童話作家」と間違えた知識で更新されてしまいます。職業は兎も角、どうしてドイツなどと勘違いして、しかも濃厚にすり込まれてしまったのでしょう。

 日本人とはとらえ方が違うものだと感心する部分もありました。

リンド(遺失物)

釣り人はひどく想像力に富むとよく言われているが、本当かどうか知らない。その日の釣りが終わり、帰宅の汽車のなかでほらを吹く人は、行動において上の空になるに決まっている。ユートピアの釣竿でどんな獲物があったか夢みていれば、現実の釣り竿は忘れてしまう。この種の記憶喪失は、いかに彼が魚釣りを楽しんだかの嬉しい証拠である。彼が釣竿を忘れるのは、詩人がロマンチックな事柄を考えていて、手紙を出すのを忘れるのと同じである。この種のぼんやりは私には美徳のように思える。忘れっぽい人は人生を最大限に生かそうとする人なので、平凡なことはうっかり忘れることが多い。ソクラテスやコールリッジに手紙を出してくれと頼む人などどこにいるか。彼らは、投函などを無視する魂を持っているのだ。

行方昭夫『たいした問題じゃないが』岩波文庫

 こういうときに引き合いに出される哲学者と、そのイメージ。


編集者の頃

 その酒を飲みながら、先生一流の講評というか、いじめというかが始る。居並ぶ編集者たちを端から一人ずつ名指しで批評してゆくのである。ちょっと癇にさわる返答でもしようものなら大変だった。文字通り泣くまで攻める。日本語の全く通じないGIまで泣かせたという伝説のある小林秀雄である。しかも素面の時は秀才の如く、酔えば無頼漢の如し、と云われたのが、充分に酒が入っている。常人の太刀打ち出来る相手ではない。四十面を下げたベテランの編集者が、おいおいと声をあげて泣く始末だった。

 冷静に聞いていると、かなり怪しげな論理のこともある。いつでも先生の方が正しいわけでもない。そのくせ必ず泣かすのである。心理的に巧緻な攻撃法だった。正しく名人芸と云っていい。

 東大の哲学科を出たばかりの田島という男がいた。一日、先生の講演会が某所(場所は忘れた)であり、奥さまが少し遅れて東京に着かれた。ところが講演会場が判らない。奥さまは慌てて創元社へ来て、会場を問われた。運悪く田島が社長命令で会場まで案内する役目を仰せつかった。噂では田島は自信満々だったと云う。ところが、どういうわけか会場に着かない。田島の思い違いなのだが、哲学者なんて代物は仲々簡単に自分の非を認めたりしないものだ。依然として自信満々で奥さまを引っぱり廻し、ようやっと会場に辿りついた時は、先生の講演は終わっていた。

 次の週の編集会議の後のそば屋で、先生はそのことで田島に注意された。田島の返事がいけなかった。

「人の案内をするために哲学をやってるわけじゃありません」

 一同、ぎょっとあいて思わず先生を見た。

「なんだと」

 声のオクターブが下った。危険の徴候である。皆、首をすくめた。

「お前な、もしカントだったら、うちのかみさんをあんなぶざまな案内の仕方したと思うか、ええ」

 カントと来たもんだ。えらいこっちゃ。苦笑を噛み殺したのは、佐古さんと私の二人だったと思う。

「どうなんだ? カントでもすると思うかよ」

 田島はかくんと来た。

「思いません」

 そりゃあそう云うしかない。何しろカントである。

「カントは哲学やってないのか」

 こうなるともう無茶である。攻撃は延々と続き、田島は遂に泣いた。

 後で駅まで一緒に歩きながら、

「汚ねえよ、カントだなんて」

隆慶一郎『時代小説の愉しみ』講談社文庫
時代小説の愉しみ (講談社文庫)

時代小説の愉しみ (講談社文庫)


 つまり、ここで「ソクラテス」だったらまた違っていたのでしょうか。やっぱり泣かされたようにも思います。あと、小林秀雄はあいてがカントであろうがワーズワースだろうが奥さんの道案内をさせそうで怖いですね。


 もちろん”われらが”孔夫子は穀物倉庫の管理人をしたこともあるのですから、こういう細かい仕事もきっちりしていたでしょうね。三カ月以内に韶の音楽を聞いてさえいなければ。


イギリス社会の狡猾さ

丸谷 もともとフーリガン(hooligan)という言葉は、十九世紀末にできた言葉で、語源はミュージック・ホールの唄に出てくる乱暴者のアイルランド人の名前なんだそうですが、言葉として登録されたのはごく最近なんです。『オクスフォード英語辞典』のニュー・サプレメントの第二巻、一九七六年に出た巻にはじめて載りました。それまでは、フーリガンという言葉は注目に値しない現象だったんですね。

 フーリガニズムというものが起こったのが、一九六〇年代。この六〇年代のイギリスの特色は、非常にはっきりしていまして、ポップ・ミュージック――つまりビートルズその他――、ミニスカート、麻薬、同性愛、それからなにごとも大目に見る態度っていうんです(笑)。このへんのところは、松浦高嶺(まつうらたかね)さんの『イギリス現代史』に書いてあることの受け売りです。

 それで六〇年代の中頃までに、サッカーグラウンドの一方の端のゴールの後ろ側に、若者のグループが集まるようになった。遠征試合に出かけて、サッカー特別列車のなかで物を壊すようになった。それが六〇年代の特徴なんですね。

(略)

山崎 (略)

 いま六〇年代とおっしゃいましたが、思い出すのは、イギリスにジョン・オズボーンという劇作家がいました。これはアングリー・ヤングメンと呼ばれる一群の作家のひとりですけれども、『怒りをこめて振り返れ』(一九五六年)という芝居を書いた。どういう話かというと、労働者出身の青年が、上層中流階級の男の娘と結婚して、徹底的にいびり倒すという話なんです。それは、ちょっと芝居を見ていて楽しい思いにはなれないぐらい、残酷ないじめ方をするんだけれども、まさにフーリガンの怒りなんですね。

丸谷 そうですね。同時期に、アラン・シリトーという小説家が登場して、彼の代表作が『土曜の夜と日曜の朝』。この「土曜の夜」というのは、つまりフーリガンの土曜というのとピッタリ一致する、そういう狂熱的な土曜なわけですね。

丸谷才一 山崎正和『二十世紀を読む』中公文庫
二十世紀を読む (中公文庫)

二十世紀を読む (中公文庫)


 丸谷節は「成るほど……」などと聞き惚れると結構怪しい話もあるので危険。ミルン(1882-1956)はもうフーリガンを話題に出していますよ。遅くとも50年代なのに。

ミルン(日記の習慣)

 今日人々が日記をつけない理由は、誰にも事件らしいものが一つも起きないからではなかろうか。もし次のように書ければ、日記をつける価値が生まれるであろう。


 月曜日「今日も胸躍る日だった。通勤途中でフーリガンを二人射殺し、警察に名刺を渡すことになった。役所に着くと、建物が延焼中で驚いたが、英国スイス間の秘密協定の案文を運び出す余裕はあった。これが万一世間に知れたら、戦争が勃発する可能性高し。昼食に出ると、ストランド街で逃げ出した象を目撃。その時は気にもとめなかったが、夜になって妻に話したところ、妻は日記に記す価値ありと言う」

行方昭夫『たいした問題じゃないが』岩波文庫

 土日のあいつらはよっぽど腹に据えかねるのでしょうね。



[][][][]子罕第九を読む(その4) 19:52 はてなブックマーク - 子罕第九を読む(その4) - 蜀犬 日に吠ゆ

子絶四

 子罕第九(206~235)

209 子絶四。毋意。毋必。毋固。毋我。

(訓)子、四を絶つ。意するなく、必するなく、固なるなく、我なるなし。

(新)孔子は四つの勿(なか)れを守った。意地にならぬ、執念しない、固くなにならぬ、我を張らぬ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 逆にいうなら、凡人は注意しないと意地を張り、下らないことにこだわり、それをいつまでも引きずり、我が儘だとわかっても押し通そうとするわけですね。


[解説] この章は孔子の心が専ら道義のみで少しも私心のないことを示したのである。

 意必固我の四つは互いに始終をなしている。意に起(おこ)り、必に遂げ、固に留まって、我に成るのである。意と必とは常に事の前に在り、固と我とは常に事の後に在る。我が又意を生ずるに至れば、又私慾にひかれて同じ順序を繰返して窮まることがないのである。(朱子による)

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫