蜀犬 日に吠ゆ

2009-10-04

[][][][]子罕第九を読む(その7) 19:19 はてなブックマーク - 子罕第九を読む(その7) - 蜀犬 日に吠ゆ

吾に知あらんや

 子罕第九(206~235)

212 子曰。吾有知乎哉。無知也。有鄙夫問於我。空空如也。我叩其両端。而竭焉。

(訓)子曰く、吾に知あらんや。知なきなり。鄙夫(ひふ)ありて我に問うに、空空如(こうこうじょ)たり。我はその両端を叩いてこれを竭(つく)すのみ。

(新)子曰く、私が知恵者だなどとは見当外れでしょう。私の知恵袋はいつもからっぽです。それに聞き方の下手な者がやってこられるのは一層こまる。私の袋からは何も出てくるものがないのだ。これこの通りと、二つの隅を叩いて振って見せるばかりだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 この章は恐らく孔子が、単なる物知りとされ、知恵を借りに来られるのに反撥して、それはお門違いだと言いたかったのであろう。学問とはそんなものではないのだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 そういう生活の知恵的な話ももちろんできる(多能ですから)のですが、そんなことにかかずらっている暇はないよ、という話。ただ、後半、知恵袋は空っぽだ、というのは宮崎先生流。

 鄙夫(無教養な男)が無教養な質問をしても、私はその隅々まで意味を忖度し、問題点を叩きだしてあげる(ので知恵があると思われているが、そんなでもない(誠実なだけだ)よ)。という、解釈が多いようです。