2009-10-06
■ [書留][儒教][子罕第九][宮崎市定]子罕第九を読む(その8) 
鳳鳥至らず
子罕第九(206~235)
213 子曰。鳳鳥不至。河不出図。吾已矣夫。
(訓)子曰く、鳳鳥至らず、河(か)、図(と)を出さず。吾れ已んぬるかな。
(新)子曰く、瑞兆の鳳凰もやってこないし、黄河から吉兆を背負った龍馬も出てこない世になった、という諺があるが、実際そんな時代になったらしい。いよいよ絶望かな。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫
孔夫子は下降史観ですのでこういう風になります。さらに二六〇〇年近くも鳳凰をみていない現生人類は、立場がないじゃないですか。
あと、天地世界が人類社会のために奇瑞をあらわすのだ、という人間中心主義的な考え方が儒教の特徴をあらわしているとも言えますね。
あと、革命は六十年に二回起きないと嘘。
讖緯説① 緯とは中国で古典に基づいて日食・月食などの天変を予測することを書いた書で、それに伴う未来を占うこと(讖)をいう。未来を予言する讖緯説では干支の甲子や辛酉の年に革令や革命ありとする。
『日本史B用語集』山川出版社 2004
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