蜀犬 日に吠ゆ

2009-10-10

[][]カート・ヴォネガット『モンキー・ハウスにようこそ』ハヤカワ文庫 22:40 はてなブックマーク - カート・ヴォネガット『モンキー・ハウスにようこそ』ハヤカワ文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

 短編集。あまり面白いわけでもない。

 ヴォネガット先生の作品は壮大な駄法螺を吹き散らかすキルゴア・トラウト的空間がその魅力なのであって、その破綻した世界観が楽しいのですが、短編ではそうもいきません。主人公格を除けば普通のアメリカ人達がぞろぞろ出てくるわけで、ちょっと入り込めませんでした。

  • まえがき
    • 水の中の私は美しい
      • 陸の上ではブサイクってことか?
  • わが村 Where I Live
    • バーンスタブル村に百科事典のセールスマンが来る。
    • 途中からほとんど登場人物がいなくなる。
  • ハリスン・バージロン Harrison Bergeron
    • 合衆国余剰負担局
      • 平等の行きつく先。星新一風のおかしな未来図。
  • こんどはだれに? Who Am I This Time?
    • 町の有志の芝居一座。
      • 気がきいているといえばそうとも言える小編ですが、これも古さがいなめません。
  • モンキー・ハウスへようこそ Welcome to the Monkey House
    • 無用人間ナシングヘッドである詩人のビリーが、寿命を監理された世界に立ち向かう。立ち向かわれる方が主人公
      • これも星新一風か。たいしたオチじゃない。
  • 永遠への長い道 Long Walk to Forever
  • フォスター家の財産目録 The Forster Portfolio
  • 誘惑嬢 Miss Temptation
  • 王様の馬がみんな All the King's Horses
  • ほら話、トム・エジソン Tom Edision's Shaggy Dog
  • 新しい辞書 New Dictionary
  • となりの部屋 Next Door
  • 夢の家 More Sately Manisions

[][][][]子罕第九を読む(その10) 20:57 はてなブックマーク - 子罕第九を読む(その10) - 蜀犬 日に吠ゆ

これを仰げば弥いよ高く

 子罕第九(206~235)

215 顔淵喟然歎曰。仰之弥高。鑽之弥堅。瞻之在前。忽焉在後。夫子循循然。善誘人。博我以文。約我以礼。欲罷不能。既竭吾才。如有所立卓爾。雖欲従之。末由也已。

(訓)顔淵、喟然として歎じて曰く、これを仰げば弥(いよ)いよ高く、これを鑽(き)れば弥いよ堅し。これを瞻(み)れば前にあり、忽焉として後(しり)えにあり。夫子、循循然として善く人を誘(みち)びく。我を博むるに文を以てし、我を約するに礼を以てす。罷めんと欲して能わず。既に吾が才を竭(つく)す。立つ所あって卓爾たるが如し。これに従わんと欲すと雖も、由る末(な)きのみ。

(新)顔淵が思わず嘆息して言った。古語に、仰げば仰ぐほどいよいよ高く、錐でもめばもむほど、いよいよ堅いことが分る。目の前にあると思って前ばかり警戒していると、いつの間にか急に後ろの方から見てござる、とあるのはよく先生の場合にあてはまる。先生は循循然とひとつひとつ我々を指導され、見聞を広めて知識を与え、行動をルールに従わせて礼を教えられた。一方では苦労だが一方では楽しくてやめられない。とうとう力限りの勉強をするようになった。先生はどこか高い場所に立ち、そこからは何でも見渡せるような気がするのだが、どこから其処へ行けるか、足がかりが見つからないでいる。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 宮崎先生博文約礼のときの解釈を踏襲しないのですね。表現が変わっても意味しているところは同じなのでしょうか? 夫子の教育を顔回が評する部分なのでまた異なる文脈とするのでしょうか。「博く学んで知識を広め、礼の実践によって知識に締めくくりを与える、ようにさせる。」でかまわないと思いますが。


 加地先生は「学芸をもって私たちの知識を広めてくださり、その帰納・要約(実践)として礼儀を教えて下さる。」とあり、そのまま意味が通ります。


 この章句では、孔子がいつも言っているようなことが繰り返されているわけですが、ほかならぬ顔回が、孔子の徳を褒め称え、自らのいまだ及ばない部分を反省するところが重要なのでしょう。孔子から最も高く評価され、ことによるとその後継とまで考えられていた顔回にしてさえ、このように謙虚な態度と師への尊敬をもって日々精進していた、と。

 身内ぼめといえばそれまでですが、こういう態度にはみならうべきである、と。