蜀犬 日に吠ゆ

2009-10-22

多目君とのび太君

[][][][]子罕第九を読む(その20) 20:35 はてなブックマーク - 子罕第九を読む(その20) - 蜀犬 日に吠ゆ

忠信を主とし

 子罕第九(206~235)

229 子曰。主忠信。毋友不如己者。過則勿憚改。

(訓)子曰く、忠信を主とし、己に如かざる者を友とする毋(なか)れ。過ちては改むるに憚ること勿れ。

(新)8の章の後半と重複する。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

友達には誠心誠意で付きあい、そうすることに相応しくない者は友達にならぬがよい。過失はあっさりあやまるべきだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 切磋琢磨するのが本当の友人ですから、優越感をもって付きあうのは友人ではないということですね。


三軍は帥を

 子罕第九(206~235)

230 子曰。三軍可奪帥也。匹夫不可奪志也。

(訓)子曰く、三軍は帥を奪うべきなり。匹夫も志を奪うべからざるなり。

(新)子曰く一軍団の大将が虜になることは起るかも知れない。男一匹の魂は奪われてはなりませぬぞ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 この喩え話好きなんです。金谷先生の読み下しが私の記憶に近い。

 子の曰わく、三軍も帥を奪うべきなり。匹夫も志しを奪うべからざるなり。

金谷治『論語』岩波文庫

三軍とは、述而第七の「子三軍を行わば、則ち誰と与にせん」のところで説いたように、大きな侯国の軍備としてある三個師団三万七千五百人である。それはこの地上におけるもっとも強力なものの一つのように見える。しかし烏合の衆であることもあり、また烏合でなくとも、単一の主体でない。だからその中心になっている「帥」すなわち総大将を、どっかへ連れていってしまうことも、できる。それに対し、一人の人間の中心になるもの、それは「志」であるが、人間が、一旦こうときめた志、それをかえさせ、かすめとることは、できない。「匹夫」とは一人の人間の意であるが、一夫一妻が匹(つれあい)になり、貴族のように多妻でない、低い階級の人間というのが、原義とされる。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 解釈としては、宮崎先生に近いですね。匹夫の志も、挫けてしまうことはあります。しかしそれは、自分で挫けるのであって、ちょうど山を造る時に途中でやめてしまうのに似ています。挫けない、あきらめないで志を貫くことが大切なのだ、という話。