蜀犬 日に吠ゆ

2009-10-24

[][][][]子罕第九を読む(その21) 20:56 はてなブックマーク - 子罕第九を読む(その21) - 蜀犬 日に吠ゆ

敝れたる縕袍を衣

 子罕第九(206~235)

231 子曰。衣敝縕袍。与衣狐貉者立。而不恥者。其由也与。不忮不求。何用不臧。子路終身誦之。子曰。是道也。何足以臧。

(訓)子曰く、敝(やぶ)れたる縕袍を衣(き)、狐貉(こかく)を衣たる者と立ちて恥じざる者は、其れ由なるか。忮(そこな)わず求めず、何を用(も)って臧(よろ)しからざらん、ということあり。子路終身これを誦す。子曰く、是の道や、何ぞ以て臧(よ)しとするに足らん。

(新)子曰く、すりきれた綿入れ服を着て、銀狐の外套を着た人と列んで、平気な顔をしておられるのは由ひとりくらいかな、と。詩経の中に、人は人、我は我。比べないのが一番いい、という句がある。子路はこの句が好きで、いつも口癖のように唱えていた。子曰く、それくらいの事で、何が一番いいものか。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 不忮不求とは、人の悪口もいわない、人にも頼まないの意。詩経、邶風(はいふう)の中に見える。次の句、何用不臧に対して孔子が、何足以臧と、中の二字を変えて、子路に対して戒めとした。なおこの章は全く異った二事を便宜上、同じ所に出しただけ。詩の句までも孔子の言とし、下に続けて全体を一事と解するとおかしくなる。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 二事を同じ所に。しかし結局これが連なって登場するという事は、そういう意図を持った誰かがいたという事でしょう。それは否定できないでしょう。


 孔子が子路を賞めたりけなしたりするのはいつもの事なのですが、最後のけなし方は、どういう意味か。

 「こまかい事にこだわらないのはいいとしても、それでよしとしてはならない」という言葉には、「細かい事にこだわらず道徳の道を歩め」という崇高な目標が待っているのであって、スタート地点に着いたくらいで満足するな、という思いがこめられているのでしょう。


 ガクセイさんで蛮カラの気風が残っていたりする環境ですと、むしろ「弊衣破帽」を誇りとするくらいです。ので、子路にとって粗末な服で貴人とならぶことなど、「へ」でもなかったどころか名誉なことくらいに考えていたのかも知れません。そうしたことも、結局外見にこだわることだよ、と夫子がたしなめようとした、という解釈もありでしょうか。