蜀犬 日に吠ゆ

2009-10-26

シャノア

[][][][]子罕第九を読む(その22) 20:48 はてなブックマーク - 子罕第九を読む(その22) - 蜀犬 日に吠ゆ

歳寒くして

 子罕第九(206~235)

232 子曰。歳寒。然後知松柏之後彫也。

(訓)子曰く、歳寒くして、然る後に松柏の後れて彫(しぼ)むを知るなり。

(新)子曰く、歳末の寒さがやってきて、はじめて松や柏など、常緑樹の葉の抵抗力の強いことが分るのだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

事の無い時には君子も小人もわからないが、事変に遇って初めて君子の節操がわかる。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 ということのたとえとして、君子は「松柏」を尊びます。ちなみに世俗を超越すべき道家が竹を貴ぶのは『世説新語』の「わが君」、禅林は趙州和尚の言葉から「庭先の柏」を好むとされますが、あまり区別はなさそうにも見えます。


知者は惑わず

 子罕第九(206~235)

233 子曰。知者不惑。仁者不憂。勇者不懼。

(訓)子曰く、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず。

(新)子曰く、知者はあれこれ迷わぬ。仁者はくよくよ心配しない。勇者はしりごみしない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 憲問第十四を参照。

子の曰わく、君子の道なる者三つ。我れ能くすること無し。仁者は憂えず、知者は惑わず、勇者は懼れず。子貢が曰わく、夫子自ら道うなり。

金谷治『論語』岩波文庫

 こちらでは順序が違っていますので、子罕第九においてもこの「知者、仁者、勇者」の順序には序列の意味は含まれないでしょう。君子は、知者であり、仁者であり、勇者であるものなのでしょう。

 公冶長第五には未だ知ならず、焉んぞ仁がありますが、こうした序列のほうが、実際は珍しいと見ます。


 「不惑」とは四十代の謂なりや。とも思いますが、だいたい四十にもなって無知蒙昧というのもどうかと思われますので、それほど強く関連づけられているとも思えません。