蜀犬 日に吠ゆ

2009-10-29

[][][][]郷党第十を読む(その1) 21:22 はてなブックマーク - 郷党第十を読む(その1) - 蜀犬 日に吠ゆ

孔子、郷党に於いては

 子罕第九(206~235)

236 孔子於郷党。恂恂如也。似不能言者。其在宗廟朝廷。便便言。唯謹爾。

(訓)孔子、郷党に於いては、恂恂如たり。言う能わざる者に似たり。其の宗廟、朝廷にあるや、便便として言う。唯だ謹しむのみ。

(新)孔子が町内の会合の席では、ぼつりぼつりと話しするのを聞いていると、言語障害かと思うくらい。ところが朝廷の祭祀や政治の場では、すらすらと雄弁に語る、ただひどく丁寧に言う。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 郷といい党というのは、やかましくいえば地方組織の単位であって、五百軒の部落が「党」、また「党」が二十五よりあつまった一万二千五百軒が「郷」であると、「周礼(しゅうらい)」の「大司徒」などに見えるが、ここでは軽く、孔子が居住してその私的生活を営む地域、つまり町内というほどの意味である。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

(解説)この章は孔子の郷党と宗廟朝廷における言語動作の不同であることを記したのである。

 郷党は父兄や親族のおる所だから謙遜しているのである。宗廟は礼法の行われる所であり朝廷は政事の行われる所であって、礼法や政事を明らかに弁じなければならないから、必ず詳らかに問うてこれを極言するのである。(朱子による)

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 状況立場に応じて態度が変わるのが正しい礼のあり方だというわけですね。