蜀犬 日に吠ゆ

2009-11-08

[][][][]郷党第十を読む(その7) 20:29 はてなブックマーク - 郷党第十を読む(その7) - 蜀犬 日に吠ゆ

食は精なるを厭わず

 郷党第十(236~253)

243 食不厭精。膾不厭細。食饐而餲。魚餒而肉敗不食。色悪不食。臭悪不食。失飪不食。不時不食。割不正不食。不得其醬不食。肉雖多。不使勝(食気)餼。唯酒無量。不及乱。沽酒市脯不食。不撤薑食。不多食。祭於公。不宿肉。祭肉不出三日。出三日。不食之矣。食不語。寝不言。雖疏食菜羹瓜。祭必斉如也。

(訓)食(し)は精なるを厭わず、膾(かい)は細きを厭わず。食の饐(い)して餲(あい)し、魚の餒(たい)し肉の敗(やぶ)れたるは食わず。色の悪きは食わず、臭の悪きは食わず、飪(じん)を失えば食わず。時ならざるは食わず。割くこと正しからざれば食わず。其の醬を得ざれば食わず。肉は多しと雖も餼(いい)に勝たしめず。唯だ酒は量なし、乱に及ばず。沽酒(こしゅ)市脯(しほ)は食わず。薑(きょう)を撤して食わず。多くは食わず。公に祭れば肉を宿(とど)めず。祭肉は三日を出ださず。三日を出づれば、これを食わず。食うに語らず、寝ねては言わず。疏食菜羹瓜(そしさいこうか)と雖も、祭れば必ず斉如たり。

(新)米はついてしらげたほどよく、膾は細くきざんだほどよい。飯がすえて味がかわり、魚がくずれ、肉の古くなったのは食わぬ。色の変ったものは食わぬ。臭の悪くなったものは食わぬ。煮方をしくじったものは食わぬ。時候はずれのものは食わぬ。切れ目の形の悪いものは食わぬ。適当なソースでなければ食わぬ。肉は多くても、飯より多くはとらぬ。ただ酒だけは分量をきめないが、酔いつぶれてはならぬ。市場の店舗で売っている酒や乾肉は用いない。薑(はじかみ)をはねのけて肉だけを食うことをしない。食い過ぎをしない。君主の祭祀で分配された肉は、その日の中に処分する。家中の祭祀の肉も三日までに処置し、三日を過ぎたものは食わぬ。食事の際には長話をしない。寝についてからは物を言わない。平常と同じ米飯、野菜の汁、果物の類であっても、祭祀に用いる時には、必ずおずおずと敬しんで捧げたあと、粗末にしない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 食事の礼法。君子というのは治国平天下の志を持っているわけですから、食の楽しみに心を奪われてはいけないのはもちろん、うかつな食事で体調を崩すようなこともあってはいけないのです。江戸時代の日本でも、武士たる者は河豚を食べたりしなかったそうですが、責任ある立場というのはそういうものなのです。

 ただし、唯酒無量。

 鄭玄の注では、これはものいみの時の規定であるそうです。普段はもっとゆるやかであったと。もちろん、流浪の旅をつづけていた頃はこんな規定を守れなかったでしょうけれどね。


「食うに語らず」は、そのままに読めば、食卓での会話を禁ずることになり、あまりにも厳格な教えである。徂徠は、解釈していう、ここの「語」の字も、さきの述而篇の「子不語怪力乱神」の語と同じく、「誨言也」、教訓の言葉という特殊な意味なのであって、教訓めいた言葉を、食事の時にはひかえたのだとする。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 これも、祭礼の食事の時は余計なおしゃべりをしない、と解釈できませんかね。


 ちょっと不思議なのは「寝不言。」が突然出てきて、またすぐ食事の話にもどるところ。「寝る」は食後の休息かとも思いましたが、日の出ているうちから「寝」て宰予は夫子から罵倒されたので、やはり夜にがっつり寝るときに余計なことを言うな、という意味にとるのがよさそうです。とすればますます、なぜここで突然言及されるのでしょうね。


席正しからざれば、坐せず。

 郷党第十(236~253)

244 席不正。不坐。

(訓)席正しからざれば、坐せず。

(新)座席が曲っていた時は、直してからでなければ坐らない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 古代の中国人は日常の生活に、寝台に似た形の牀(しょう)を用い、その上に席を敷き、席の上に日本人の如く膝をそろえて坐するのが習慣であった。故に席は座布団に相当するので、その四辺が牀の四辺と平行して、正しく置かれていなければ、無造作にその上に坐すことをしなかったのである。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 座布団をそろえることもそうですが、きちんと自分の坐るべき位置に坐ることもまた大切です。席次の正しさですね。ですから室内や堂内に入ったら、いきなり空いている席にどっかと坐るのではなくて、きちんと自分の坐る場所を確認し、席が乱れていないか確認し、曲がっていれば直して、それからのちに坐るのだ、ということでしょう。