蜀犬 日に吠ゆ

2009-11-13

[][][][]郷党第十を読む(その11) 20:05 はてなブックマーク - 郷党第十を読む(その11) - 蜀犬 日に吠ゆ

君、食を賜えば

 郷党第十(236~253)

248 君賜食。必正席。先嘗之。君賜腥。必熟而薦之。君賜生。必畜之。侍食於君。君祭先飯。疾。君視之。東首。加朝服。拖紳。君命召。不俟駕行矣。

(訓)君、食を賜えば、必ず席を正して先ずこれを嘗む。君、腥(せい)を賜えば、必ず熟してこれを薦む。君、生を賜えば、必ずこれを畜(か)う。君に食に侍するに、君祭れば先ず飯す。疾ありて、君、これを視れば、東首し、朝服を加え紳を拖く。君、命じて召せば、駕を俟(ま)たずして行く。

(新)君主から料理を分配された時は、必ず居ずまいを正した上で、自分が先ず試食する。君主から生肉のままで頂いたときは、必ずそれを煮たきして、先祖に供える。生き物を賜った時は、必ずそれを飼育する。君主に陪食する時、君主が先ず一箸をとって祭(そなえ)としたのを見ると、すぐ食べにかかる。病気にかかり、君主から見舞を受けた時は、東枕に寝ね、夜具の上に礼服をかけ、帯をのせる。君主から呼出しの命を受けた時は、馬車の準備を命ずると同時に歩き出す。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 祭は食事ごとに先ず一箸の飯を備えとして、わきへ取りのけておく。水戸斉昭のお百姓人形はこの用のために造られた。禅宗にもこの習慣があるという。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 さてこの章句、孔子の行動は宮崎先生の解釈で分かりますが、その意味するところは分かりませんね。加地先生の説明を引きます。

「君賜食。必正席。先嘗之。」

 (下がりものとして)君公から料理されたものが家に届いたとき、老先生は(君公を前にするように)必ず席を正しくして、まずお味わいになり、それから一族に分け与えられた。(その料理が君公の餞余(くいあまり)かも分からないので、祖先の供物とはされなかった。)

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 君主から分けられた料理がすえてしまうなんていうことがあるのでしょうか? 儀礼用のお供えぶんなのかもしれませんね。

 君が食物を賜った時、まず己が食べて父祖の霊に薦めないないのは、それが食い餘りであるかもしれないからである。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 ご先祖様、不孝をお許し下さい。食べ残しはお供えにしませんよね。そりゃそうですよね。


 「君賜腥。必熟而薦之。君賜生。必畜之。」

君公から生肉をいただいたときは、必ず煮て祖先の供物とされた。君公から生き物をいただいたときは、必ずお飼いになった。(祭祀のときの犠牲(いけにえ)にするためである。)

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 やはり、実際に食べるためというよりも祭礼に使いなさい、と下賜されるのですね。

 生きた動物を賜って殺さないのは君の仁恵を動物に推及ぼすのである。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 この説は、動物が羊なのか馬なのかによるのではないでしょうか。


 「侍食於君。君祭先飯。」

 君公のお側でお相伴されるとき、君公が(膳の食物を少しずつ取って、その食物を最初に作った神への供物として膳の端、食器の間に置いて)祭られたとき、孔先生はその供物で毒味をされた。

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 ここは解釈の分かれるところです。君主が自分の膳から供物のぶんを取り分ける、というところはいいのですが、そのとき孔子は、宮崎説「それを見るなり自分のぶんを食べ始めた。」、加地説「席を立って(でないと届かないでしょうから)君主の膳まで進み、毒味した。」となります。加地説、もし臣下がみな順繰りにこんなことをしていたら会食が出来ないでしょうから、孔子が毒味を命ぜられたとかなんとか、もう少し説明がほしいところです。

 君主が、めしやおかずに手をつけようとして、まずそれをやりはじめると、孔子は、もはやめしを食いはじめた。君主のために、食物の毒味をする形になりうるからである。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 これは何となく分かります。「先」の意味をきちんと採っているといえましょう。君がめしに箸をつけたらめしを先に食べ、菜に箸をつけたら菜をたべるので、かなり君に注目していなければいけませんな。

 君の陪食をする時祭らないでまず食べるのは君のために毒味をするのである。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 君が祭っている間にもう「毒味」として食べ始めてしまう。

 某県の北部では「レンシュウ」という風習がありまして、飲み会などで早めに会場に着いた人たちでがんがん飲みはじめてしまい、時間通りに「開会の挨拶を所長が」「乾杯の音頭を事務長が」などとやる頃にはもうみんな真っ赤っかなのですが、こういうところに、儒教の礼式が今でも生きているのかもしれません、ん。