蜀犬 日に吠ゆ

2009-11-16

[][][][]郷党第十を読む(その1420:54 はてなブックマーク - 郷党第十を読む(その14) - 蜀犬 日に吠ゆ

寝ぬるに尸せず。

 郷党第十(236~253)

252 寝不尸。居不容。見斉衰者。雖狎必変。見冕者与瞽者。雖褻必以貌。凶服者式之。式負版者。有盛饌。必変色而作。迅雷風烈必変。

(訓)寝ぬるに尸せず。居るに容(かたち)つくらず。斉衰(しさい)する者を見れば、狎(な)れたりと雖も必ず変ず。冕(べん)する者と瞽者(こしゃ)とを見れば、褻(な)れたりと雖も必ず貌(かたち)を以てす。凶服する者はこれに式す。負版する者に式す。盛饌(せいせん)あれば、必ず色を変じて作(た)つ。迅雷風烈には必ず変ず。

(新)寝につく時は両足をまっすぐに伸さない。休息している時は、身づくろいをしない。喪服を着た人に会うと、何度目であっても、表情を変え、礼服を着た者と目の不自由な人に会う時は、親しい仲でも身づくろいを改める。葬式の服装をした人には馬車の上から会釈する。喪章をつけた人にも会釈する。心尽しのもてなしにあえば、表情を改め、立ち上って謝意を述べた。大雷雨、強烈風のある時は、居ずまいを正して謹慎の意を表わした。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 「雖狎必変」は、宮崎先生「何度目であっても」ですが、ほかはたいてい「慣れ親しんだ人」「気安くしている人」とあり、その方が理解が自然でしょう。

 「見斉衰者。雖狎必変。見冕者与瞽者。雖褻必以貌。」のところは、子罕第九、214 子見斉衰者と同じ事を異なる言葉で表現したのでしょう。こうした特別の配慮が必要な人に対してはきちんと対応する、というのが礼儀。

 「式」というのは、馬車の上からの会釈。

「式」、それは車上でする敬礼である。当時の男子の乗る車は、立って乗るように設計されていたが、車の箱の前の枠に、較(かく)という横木があり、いつもはそれにつかまっているが、その下にもう一本、「式」とよばれる横木があり、敬意を表すべき者に出会った場合には、やや身体を前にかがめ、手は下の横木の式によりかからせる。それが「式をする」という動詞であると、皇侃の説である。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 ご馳走を賞める時は立ち上がってするのが礼儀、というのは今も形を変えて受け継がれているそうです。

人のご馳走になった場合、すばらしい料理が出て来ると、きっと顔色をととのえて、立ち上り、主人に敬意を表した。ただいまの中国に、この通りの風習はないようであるが、似たものはある。主人が所蔵の書物や、自作の詩文を、客に示した場合には、客は必ず立ち上って、敬意を表し、主人が辞退して「請坐(チンヅォ)」といってから、坐って拝見するのが、礼儀である。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 「迅雷風烈」

 魏の曹操がある日劉備に向って、「今天下の英雄はただあなたと私とだけですね」と曰うと、董承と共に曹操を誅そうとしていた劉備はちょうど食事をしていたが、驚いて匕(さじ)と箸を取り落し、雷(いかずち)が鳴ったので、詭(いつわ)って「聖人が、『迅雷風烈必ず変ず』と云われましたが、まことにわけのあることですね」と曰ったことがある。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 君と余だ!

先主伝第二

 まだ先主が(袁術迎撃に)出発する前、献帝の舅に当る車騎将軍董承が恩賜の御衣の帯の中に入れられた密勅――曹公を誅殺すべしという――を受けたことを告げた。(勅命にあずかった)先主はまだ行動をおこさないでいた。このとき曹公はくつろぎのあい間に先主に、「今、天下に英雄といえば、御身と私だけだな。本初(袁紹)のような連中は、ものの数にも入らぬ」といった。先主はちょうどものを食べようとしていたが手にした箸を取り落としてしまった*1。かくて董承や長水校尉の种輯(ちゅうしゅう)、将軍の呉子蘭・王子服らと計画をねったが、ちょうど(袁術迎撃の)役をおおせつかり、行動をおこすに至らぬうちに、ことが発覚し、董承らはことごとく処刑された。

陳寿 裴松之注 井波律子訳『三国志5 蜀書』ちくま学芸文庫

 本文には登場しないのですね。

*1:『華陽国志』にいう。このときちょうど雷がとどろきわたった。劉備は、それにかこつけて曹操に向っていいた、「聖人が、『突然の雷、激しい風に対しては必ず居ずまいを正す』(『論語』郷党篇)といっておりますが、なるほどもっともなことです。それにしても雷鳴のすごさが、これほどまでとはね。」