蜀犬 日に吠ゆ

2009-12-01

[][][][]先進第十一を読む(その4) 21:14 はてなブックマーク - 先進第十一を読む(その4) - 蜀犬 日に吠ゆ

孝なるかな閔子騫

 先進第十一(254~278)

257 子曰。孝哉閔子騫。人不間於其父母昆弟之言。

(訓)子曰く、孝なるかな閔子騫。人、其の父母昆弟(の言に間せず)を間するの言あらず。

(新)子曰く、孝行者といえば閔子騫だ。誰も彼の父母昆弟の悪口を言う者がない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 間は205における間然の間。但しこのような解釈ではあまりに平凡だという理由でか、彼の父母兄弟が彼をほめる言葉を誰も疑う者がない、など色々に解釈される。しかし論語は、もともと平凡な真理の書である。閔子騫が孝行なため、その一家まで悪く言われない。それは立派な親孝行ではあるまいか。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

南容、三たび白圭を復す。

 先進第十一(254~278)

258 南容三復白圭。孔子以其兄之子妻之。

(訓)南容、三たび白圭を復す。孔子、其の兄の子を以てこれに妻(め)あわす。

(新)南容が、詩経の中の白圭を好んで誦するのが、三度孔子に聞かれた。孔子はその兄の娘と結婚させた。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 南容は、公冶長第五 93でも孔子の兄の娘と結婚したことがでてきます。孔子の母は孔子しか生んでいないので異母兄の娘、ということになりましょうが、孔子が月下氷人を務めたので、このころ孔一族の頭領だったのでしょうか。兄の名前にしても登場しませんしね。


 で、白圭。

 白圭の句は詩経、大雅、抑にあり、

 白圭之玷。尚可磨也。斯言之玷。不可為也。

 白玉についた玷(きず)は、磨いてへらすことができる。言葉の玷は、永久に修理できない。と見て、南容の事は93にも出ている。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

范祖禹(はんそう)が曰うには、「言(ことば)は行いの表れで、行いは言の実である。その言をた易くして能くその行いを謹む者はない。南容はこのようにその言を謹もうとするから、必ず能くその行いを謹むだろう。」

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 93では、国が無道の時も刑にあうことはないだろう、そういう慎重な男だ、という理由でした。今回も同じようですね。

 たぶん南容というのはぱっとしない男だったのでしょう。だから、「ああいう慎重な男だからだ」と弟子たちがあれこれ推測して、こうした異説が出たのでしょう。