蜀犬 日に吠ゆ

2009-12-03

[][][][]先進第十一を読む(その5) 20:05 はてなブックマーク - 先進第十一を読む(その5) - 蜀犬 日に吠ゆ

弟子孰れか学を好むと為す

 先進第十一(254~278)

259 季康子問。弟子孰為好学。孔子対曰。有顔回者好学。不幸短命死矣。今也則亡。

(訓)季康子問う、弟子(ていし)孰(た)れか学を好むと為す。孔子対えて曰く、顔回なる者ありて学を好む。不幸、短命にして死せり。今や則ち亡し。

(新)121と殆ど同文、ただ季康子が哀公になっているだけ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 人材の推薦を求められたときに、こうやってあっちこっちで言って回ったのかも知れませんね。

 雍也第六の哀公の問いとこの章の季康子の問いとは、問いは同じであるのに、哀公には詳らかに対え、季康子には略して対えたのは、哀公は君であり、臣が君に告げるのには詳らかに対えて反問の餘地のないようにしなければならないけれども、季康子のごときは略して対えて、その反問するのを待って告げられるのである。これが教誨の道である。(范祖禹による)

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 季康子ごとき、ってひどいなあ。孔子と同じ卿大夫階級であるということでしょうか。


「不幸短命にして死せり」ということについて、多少の所見をのべておきたい。寿命というものは人間の努力を超えたものであって、天の意志にまかされるという思想は、「論語」の中でも、のちの顔淵篇に子夏の言葉として見える。「商、之れを聞く。死生は命有り、富貴は天に在り」。そうして六朝以後の文学には、この傾向の思想ないし感情は、一種のマネリズムとなるほど、しばしば見える。

 しかしこの絶望的な思想は、古代の中国において、必ずしも普遍であったとは考えられない。「論語」よりもさらに古い古典である「書」、すなわち「書経」の思想は、人寿の長短もまた、人間自体の責任であるといおうとする。たとえば殷時代の文書であるとされる「商書」の「高宗肜日(こうそうゆうじつ)」の篇に、祖己なる賢臣の言葉として、次のようにいう。

「惟れ天は下民を監(み)るに、厥(そ)の義しきを典(つね)あらしむ。年を降して永き有り、永からざる有るは、天の民を夭(わかじに)せしむるに非ずして、民の中ばにして命を絶つなり」。

 これは寿命も人間の努力によって左右されるという思想の、もっとも明瞭な表白である。また周初、前十一世紀ごろの文書とされる「周書」の「無逸(ぶいつ)」篇に、英雄周公が、前王朝殷時代の王たちを評して、中宗の在位は七十五年、高宗の在位は五十九年、祖甲の在位は三十三年であるが、そのようにみな長命であったのは、道徳者であったからであり、逆にその他の殷の諸王が、あるいは十年、あるいは七八年、あるいは五六年、あるいは三四年という短い在位年数、したがって短い寿命しかもたなかったのは、じんみんのくろうをしら人民の苦労を知らず、快楽的な生活に耽ったこと、それを原因とする、というのも、同じ思想である。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 かく道徳と寿命との相関を信ずる態度が、孔子にもあったとするならば、いやそれはあったに違いないと私は信ずるが、しからば、もっとも信頼する弟子顔淵の死を、「不幸、短命にして死せり」というこの言葉は、一層悲痛である。「不幸」という言葉も、単に、ふしあわせにも、という軽い詠嘆ではないように思われる。罔(あざ)むくもの、すなわち虚偽者は、「幸にして」天のとがめを免れつつ生きている。顔回は、虚偽者ではなかった。しかるに虚偽者が得る「幸」、僥倖、それさえ得ずして、短命で死んだのである。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書