蜀犬 日に吠ゆ

2009-12-10

[][][][]先進第十一を読む(その9) 21:23 はてなブックマーク - 先進第十一を読む(その9) - 蜀犬 日に吠ゆ

門人、厚くこれを葬らんと欲す

 先進第十一(254~278)

263 顔淵死。門人欲厚葬之。子曰。不可。門人厚葬之。子曰。回也。視予猶父也。予不得視猶子也。非我也。夫二三子也。

(訓)顔淵死す。門人、厚くこれを葬らんと欲す。子曰く、不可なり、と。門人、厚くこれを葬れり。子曰く、回や、予を視ること猶お父の如かりき。予は視ること猶お子のごとくするを得ず。我に非ざるなり。夫の二三子なり。

(新)顔淵が死んだ。孔子の門人たちが派手な葬式を出したいと計った。子曰く、それはいかぬ。しかし門人たちはとうとう派手に式を行った。子曰く、回はこの私を生みの父のように慕っていた。ところがこの私は回を自分の子のように取り扱うことが出来ずにしまった。私自身のせいではない。誰やらが余計なことをしたせいだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 「生みの父」ってなんやねん。

 葬儀は、死者の状況(身分や財産など)によって厚くも薄くもなるのが一般的であったから、貧しかった顔淵を厚く葬るのはふつうではなかった。さらに、もっと根本的問題があった。順序としては、親から先になくなり、子が親の葬儀を行うのが、一般則である。しかし、顔回も鯉も、父の顔路や孔子よりも先に亡くなった。これは、いわゆる逆縁であり、あえて言えば、(不孝者)である。葬儀を手厚くしないのが一般則である。

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 孔子のいきどおりは、一種の反俗精神ともいえる。この精神は、孔子の心のそこに、つねにあったように見え、まためったにそれを表面にあらわすことはなかったように見える。「回也視予猶父也、予不得視猶子也、非我也、夫二三子也」と、四つの句が、すべて「也」yeの字でおわるのは、いきどおりのリズムをあらわす文章である。顔回はわしを父同様に思ってくれたぞ。それにわしは子同様にできなかったぞ。わしではないぞ。連中のせいじゃぞ。もし「回也」の「也」をも一つにかぞえれば、合計五つの「也」となる。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 なるほど。念を押すための「也」ですか。