蜀犬 日に吠ゆ

2009-12-19

[]召使の者に不行跡の者あれば 22:01 はてなブックマーク - 召使の者に不行跡の者あれば - 蜀犬 日に吠ゆ

 主人が僕を辞めさせるときのやり方。

葉隠聞書第一

九六 山本前神右衛門、召使の者に不行跡の者あれば、一年のうち、何となく召し使ひ、暮になりて候てより無事に暇を呉れ申し候。

和辻哲郎・古川哲史校訂『葉隠』岩波文庫

 やめさせるときにも、理由はいらない。



[][][]『孟子』離婁章句下 19:29 はてなブックマーク - 『孟子』離婁章句下 - 蜀犬 日に吠ゆ

大人は、言必ずしも信ならず

 一一

孟子曰、大人者言不必信、行不必果、惟義所在、


 孟子曰く、大人は、言必ずしも信ならず、行(おこない)必ずしも果たさず、惟義の在る所のままにす。

   一 大人は言必ずしも信ならず、論語子路篇いう、言は必ず信あらんとし、行は必ず果たさんとするは、硜硜然として小人なるかな。  二 果、遂行する、決行する。


 孟子がいわれた。「(言行一致は美徳にはちがいないが)、大徳の人は言ったことを必ずしも実行するとはかぎらないし、やりかけたことを是が非でもやり遂げるとはかぎらない。ただ義に従って適宜に行うまでのことだ。」

小林勝人訳注『孟子』岩波文庫
孟子〈下〉 (岩波文庫)

孟子〈下〉 (岩波文庫)


 気をつけなければならないこと。

*天子・国王・諸侯のような団体の責任者である人が、その任のもとでなす行為にはかならずしも個人的道徳に拘束されない場合があるという発言は正しい。その人が主権者として、その国家・団体のために行う行動には、個人的な信義を無視しなければならない場合もある。しかし、このような行動は、あくまでとくに限定された場合にのみ許されることで、乱用されてはならないことはいうまでもない。

貝塚茂樹訳『孟子』中公クラシックス
孟子 (中公クラシックス)

孟子 (中公クラシックス)


[][][][]先進第十一を読む(その15) 19:59 はてなブックマーク - 先進第十一を読む(その15) - 蜀犬 日に吠ゆ

柴や愚、参や魯、師や辟、由や喭

 先進第十一(254~278)

269 柴也愚。参也魯。師也辟。由也喭。

(訓)柴や愚、参(しん)や魯、師や辟、由や喭なり。

(新)(子曰く)高柴は馬鹿正直、曾参は血のめぐりが鈍い、顓孫師は見栄ぼう、仲由はきめが荒いぞ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 子、人を方ぶ、の巻。あの二人が出てこないことから、子貢が、顔回の死後に聞いてみたとするのが自然に思われますが、結構閔子騫も人物批評を好んだりして。中国人はこういう、人の分類が大好きですから、夫子も暇なときにうっかりこういう台詞を漏らすのかも知れません。実際には、次の章句、顔回と子貢の評もつづけて一章とする説もあります。

 それはさておき。

 宮崎先生の解釈ではけちょんけちょんですが、こういう人物評って、物は言いようですからね。加地先生などは賞め言葉にとります。

 (老先生は)柴(高柴)は愚直、参(曾参)は重厚、師(子張)は習熟、由(子路)は強気(とおっしゃり

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 私としては、夫子がわざと悪口のような言葉で愛をもって弟子たちを評したのではないかと考えますので、「愚直」のような悪い字での賞め言葉がうまく見つかるといいのですが、難しいものです。


 もちろん、章の頭に「子曰」がないのでいろいろ想像が膨らみもします。

 さて以上の、辛辣な批評は、だれの言葉なのであろうか。宋儒の新注は、孔子の言葉とし、章のはじめに、子曰の二字がぬけたのだとする。完全に信頼しあった子弟の間であるから、こうした辛辣な言葉が、孔子の口から吐かれる可能性は、むろんある。宋儒のそうした解釈も、一概に否定はできない。しかし私は、古注が、これを次の「子曰わく、回や其れ庶きか」と、連続した章とし、以下に述べられるような顔回に対する称揚、またそれに附随したものとして更にその次にある子貢に対する批評、それらが孔子の口から吐かれる前提として、べつの人による四人の弟子に対する批評が、まずあったと見てはいかがかと思う。孔子自身によって吐かれた批評ではないけれども、孔子も微笑をもってうべないそうな、批評が、まず人人の間にあったのを、「論語」の著者が記したと見る方が、味わいが深いように思う。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 孔子が、こういう噂をききつけて話題に出した、というのもありかもしれませんね。


 ところで、子路。子路とはどんな男なのでしょうか。

「由や喭」すなわち仲由、字は子路であって、すでにしばしば触れたように、最も活潑な弟子であり、したがって欠点の目につきやすい人物である。これはその性格の欠点を、一字で指摘したのであるが、「喭」の字は、他の古典に見えず、もっとも古い辞書である「説文解字」にも、収録されていない。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 見りゃわかる、子路はあのまんまだよ、といわれてみればそうなのでしょうけれども。