蜀犬 日に吠ゆ

2009-12-19

[][][][]先進第十一を読む(その15) 19:59 はてなブックマーク - 先進第十一を読む(その15) - 蜀犬 日に吠ゆ

柴や愚、参や魯、師や辟、由や喭

 先進第十一(254~278)

269 柴也愚。参也魯。師也辟。由也喭。

(訓)柴や愚、参(しん)や魯、師や辟、由や喭なり。

(新)(子曰く)高柴は馬鹿正直、曾参は血のめぐりが鈍い、顓孫師は見栄ぼう、仲由はきめが荒いぞ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 子、人を方ぶ、の巻。あの二人が出てこないことから、子貢が、顔回の死後に聞いてみたとするのが自然に思われますが、結構閔子騫も人物批評を好んだりして。中国人はこういう、人の分類が大好きですから、夫子も暇なときにうっかりこういう台詞を漏らすのかも知れません。実際には、次の章句、顔回と子貢の評もつづけて一章とする説もあります。

 それはさておき。

 宮崎先生の解釈ではけちょんけちょんですが、こういう人物評って、物は言いようですからね。加地先生などは賞め言葉にとります。

 (老先生は)柴(高柴)は愚直、参(曾参)は重厚、師(子張)は習熟、由(子路)は強気(とおっしゃり

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 私としては、夫子がわざと悪口のような言葉で愛をもって弟子たちを評したのではないかと考えますので、「愚直」のような悪い字での賞め言葉がうまく見つかるといいのですが、難しいものです。


 もちろん、章の頭に「子曰」がないのでいろいろ想像が膨らみもします。

 さて以上の、辛辣な批評は、だれの言葉なのであろうか。宋儒の新注は、孔子の言葉とし、章のはじめに、子曰の二字がぬけたのだとする。完全に信頼しあった子弟の間であるから、こうした辛辣な言葉が、孔子の口から吐かれる可能性は、むろんある。宋儒のそうした解釈も、一概に否定はできない。しかし私は、古注が、これを次の「子曰わく、回や其れ庶きか」と、連続した章とし、以下に述べられるような顔回に対する称揚、またそれに附随したものとして更にその次にある子貢に対する批評、それらが孔子の口から吐かれる前提として、べつの人による四人の弟子に対する批評が、まずあったと見てはいかがかと思う。孔子自身によって吐かれた批評ではないけれども、孔子も微笑をもってうべないそうな、批評が、まず人人の間にあったのを、「論語」の著者が記したと見る方が、味わいが深いように思う。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 孔子が、こういう噂をききつけて話題に出した、というのもありかもしれませんね。


 ところで、子路。子路とはどんな男なのでしょうか。

「由や喭」すなわち仲由、字は子路であって、すでにしばしば触れたように、最も活潑な弟子であり、したがって欠点の目につきやすい人物である。これはその性格の欠点を、一字で指摘したのであるが、「喭」の字は、他の古典に見えず、もっとも古い辞書である「説文解字」にも、収録されていない。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 見りゃわかる、子路はあのまんまだよ、といわれてみればそうなのでしょうけれども。