蜀犬 日に吠ゆ

2009-12-25

孔子

[][][][]先進第十一を読む(その19) 20:25 はてなブックマーク - 先進第十一を読む(その19) - 蜀犬 日に吠ゆ

顔淵、後る

 先進第十一(254~278)

275 子畏於匡。顔淵後。子曰。吾以女為死矣。曰。子在。回何敢死。

(訓)子、匡に畏(い)す。顔淵、後る。子曰く、吾れ女を以て死せりと為す。曰く、子在す。回、何ぞ敢て死せん。

(新)孔子が匡で災難に罹った。顔淵がはぐれて姿を消し、やっっとのことで追いついた。子曰く、お前はもう死んだのかと思っていた所だ。曰く、先生が生きておいでになる限り、回はどんなことでもして生きています。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 その後のことを知っているだけに泣ける話ですねえ。

 匡で危機に遭ったときの孔子の様子


 この章は顔淵の災難に処する道を述べたのである。

「匡人其れ予を如何せん。」といったのは孔子がこれを道に決したのである。「子在す。回何ぞ敢へて死せん。」といったのは顔子がこれを孔子に決したのである。各(おのおの)憑(よ)る所があるけれども、主とする所は同じである。(蒋畏庵)

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 このへんが、顔回の、孔子への尊敬が深すぎて逆に眼に見えない「道」を見るのが不足してしまう部分なのではないでしょうか。しかし、夫子も顔回を認めているのであんまり細かいことは言わない、と。イケナイ師弟関係ですね。もしも孔子がこの場で命運尽きたら、その後を次ぐべき人物は別行動をとるくらいのリスクヘッジがあってもいいのではないでしょうか。


 なお「匡に畏す」の畏の字について、訓詁を補足すれば、「礼記」の「壇弓(だんぐう)」篇上に、「死して弔わざるもの三つあり、畏、圧、溺」とあり、その鄭玄の注に、「畏」とは、むじつの罪によって攻撃され、弁解できずに死んだ場合のことであって、孔子がかりに匡で死んだとしたら、それが「畏」であるとする。それは「圧」すなわち危険な山道を通行しての圧死、「溺」すなわち無謀な水泳による溺死とともに、自己の生命を尊重しないための、軽率な死であるから、弔問しないと、説いている。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 右は、「畏」の字の訓詁の他の例として、「礼記」を引いたのであるが、「礼記」とこの条とを考えあわせれば、さらに二つの教訓を汲み取りうる。第一は、生命の尊重である。のちの衛霊公第十五の孔子の言葉には、「志士仁人は、生を求めて以って仁を害する無く、身を殺して以って仁を成す有り」と見え、武士道と結合した日本儒教では、この言葉のみが「論語」の教訓として、強調される傾きがあるが、実は論語の教えの全体ではない。「子在す、回何ぞ敢えて死せん」、この顔淵の言葉は、あんなにも自己の生命をいとおしまれる以上、私もあっさり死ぬわけには、まいりません、という意味を含みうる。第二は、不合理な暴力に対する合理的な抵抗の尊重であって、もし孔子が、このとき「畏死」したとするならば、「壇弓」の教えによる限り、弔問を受ける資格のない者、「弔われざる者」となったであろう。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 生きぬくことは、時につらいものですが、戦い抜くことが尊い、と。