蜀犬 日に吠ゆ

2009-12-26

[][][][]先進第十一を読む(その20) 18:40 はてなブックマーク - 先進第十一を読む(その20) - 蜀犬 日に吠ゆ

仲由、冉求は大臣と謂うべきか

 先進第十一(254~278)

276 季子然問。仲由冉求。可謂大臣与。子曰。吾以子為異之問。曾由与求之問。所謂大臣者。以道事君。不可則止。今由与求也。可謂具臣矣。曰。然則従之者与。子曰。弑父与君。亦不従也。

(訓)季子然、問う。仲由、冉求は大臣(だいしん)と謂うべきか。子曰く、吾れは子を以て、異るをこれ問うと為す。曾(すな)わち由と求とをこれ問う。いわゆる大臣なる者は、道を以て君に事え、可(きか)ざれば則ち止む。今、由と求や、具臣と謂うべきなり。曰く、然らば則ちこれに従う者か。子曰く、父と君とを弑するには、亦た従わざるなり。

(新)季子然が尋ねた。(この頃召し抱えた)仲由と冉求とは、大臣と呼ばれる資格がありますか。子曰く、はて、異な質問を承るものです。由と求とについてのお問いは予期しませんでした。しかし、お尋ねの大臣という者は、正義をもって主人に仕える者のことで、その正義を通してもらえなければさっさと地位を去ります。いま由と求とはそこまで行きませんから、頭数を揃えるだけの具臣と言っておけば間違いないでしょう。曰く、それなら何でも主人の命令通りに動きますか。曰く、父と君主とを弑するような場合には、決して従いますまい。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 孔子の考え方としては、何度か出て来てはいます「悪いことをしないことを善いとは評価しない」というのが表明されているのでしょうね。君子にとって「悪いことをしない」というのは当然の前提であり、常に戦戦兢兢しているはずです。そうした道徳に従って、しかもそれを重荷とすることなく立派な業績をあげることが求められているのであって、そうでなければ、具臣(そろっているだけの臣)ということになってしまう、のでしょう。


 ここでは、子路や冉求は孔子門下の高弟ではありますが、三桓氏が専横をきわめている情勢で、しかもその三桓氏に仕える身であっては、道徳の理想を実現することなど非常にむずかしい。孔子としても、弟子たちの任官を邪魔したくはない、しかし不道徳な主のもとで能力を発揮されても困る、といった苦悩があって、つい「弑父与君」などという縁起でもない言葉遣いになったのではないでしょうか。


是の故に夫の佞者を悪む

 先進第十一(254~278)

277 子路使子羔為費宰。子曰。賊夫人之子。子路曰。有民人焉。有社稷焉。何必読書。然後為学。子曰。是故悪夫佞者。

(訓)子路、子羔(しこう)をして費の宰たらしむ。子曰く、夫(か)の人の子を賊(そこな)う、と。子路曰く、民人あり、社稷あり、何ぞ必ずしも書を読んで、然る後に学と為さん。子曰く、是の故に夫の佞者を悪(にく)む。

(新)子路が子羔を招いて費の邑の代官とした。子曰く、人の大事な子を台無しにしてしまう。子路曰く、人民を統治し、領土を守護する大事な仕事があります。学問とは、何も書経を暗誦することばかりを言うのではありますまい。子曰く、これだからこそ、口達者な人間は大嫌いだと言うのだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 子路、さんざんですね。


 一般論としては、昼寝する人とか、君子なのか、色荘なる者かを見極めなければならないとか、「郷原は徳の賊なり(陽貨第十七)」あたりですよね。口がうまいことと君子の道を歩むこととは別。子路もいろいろ理屈をつけましたが、その理屈が正しいとしても、行動の結果がダメであればダメなのだ、と。諺では、「理屈と膏薬はどこにでもはっつく」。

 下村湖人『論語物語』では、この「何必読書」あたりが孔子がかつて教えた言葉であると言うようになっています。なにしろ子路ですからね、臨機応変にこうぽんぽん言い訳を思いついた、とは考えにくい。

 私が妄想するなら、子路は子羔に就職を斡旋してやって、夫子から褒められるくらいのことを期待していたのに、逆にどうもお嘆きのようである、とききつけて、言い訳をうんうんうなって考えて、ようやくこの、かつていただいた教えが使えそうだ、と思い当たって、自信満々乗り込んできたのではないかと。

 そうしてまた叱られたの巻。


 個別論で言うなら、まず、前段にもあった、三桓氏の専横という問題があります。子路が使え、また子羔を採用した費城というのは、季桓子の荘園であり、のちに孔子が毀損することになる、下克上の象徴ともいえる町でした。かつて閔子騫は仕官を断っています。もし、季氏から招聘されるなりして子羔が夫子に相談すれば、おそらく断らせたであろう案件を、兄弟子である子路がもちかけてくれば子羔としては断るわけにもいかず夫子にも相談しにくい。そういうところに鈍感な子路を、孔子は責めて「賊夫人之子」と言ったのではないでしょうか。

 もう一つ。子羔の人となりが、費の宰に向いていない。上記のように、政治的に難しい場所に放りこまれて、子路などは「大臣という程でもないが、悪いことをするわけでもない」態度で世渡りができます(これぞ子路の政治力)が、はたして子羔はそれができるのか。

 子羔(しこう)とは高柴の字である。すなわち数条まえに、「柴や愚」と評せられた弟子である。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 「馬鹿正直の高柴」と評された子羔が、もしも任地の仕事に本気で取り組んでしまえばどうなるでしょう。子路と同じく世渡り上手とされた冉求でさえ、夫子をして私の弟子とはいいづらい、と嘆かせたのです。逆臣のために働けるか、と仕事に手を抜いて領民を放置すれば道に反し、仕事に精を出せば道に反する。これを、「夫人之子」といわずにおれましょうか。


 といいつつ、

哀公十五年(480 B.C.) C

 (報告を受けた)季子(子路)が城門に入ろうとすると、外へ出る子羔(高柴)と出遇った。子羔が、「門はもう閉まっている」と言うと、子路は

 「ともかく行ってみる」

 「間に合いませんよ。わざわざ災難に遭いに行くのはおやめなさい」

 「禄をいただいている以上、災難を避けるわけには行かぬ」

 子羔はそのまま場外に出、子路は内に入った。

小倉芳彦『春秋左氏伝』下 岩波文庫
哀公十五年(480 B.C.) C

 孔子は衛の乱を耳にし、「柴(子羔)はきっと来るが、由(子路)は死ぬだろう」と言った。

小倉芳彦『春秋左氏伝』下 岩波文庫

 子羔もなかなか世渡り上手。というか、やっぱり子路が推挙したことで、こんな内乱に巻き込まれてしまったわけで、なかなか大変です。