蜀犬 日に吠ゆ

2009-12-28

[][][][]先進第十一を読む(その21) 22:38 はてなブックマーク - 先進第十一を読む(その21) - 蜀犬 日に吠ゆ

子路、曾晢、冉有、公西華、侍坐す

 先進第十一(254~278)

278 子路。曾晢。冉有。公西華。侍坐。子曰。以吾一日長乎爾。毋吾以也。居則曰。不吾知也。如或知爾。則何以哉。子路率爾而対。曰。千乗之国。摂乎大国之間。加之以師旅。因之以饑饉。由也為之。比及三年。可使有勇。且知方也。夫子哂之。求。爾何如。対曰。方六七十。如五六十。求也為之。比及三年。可使足民。如其礼楽。以俟君子。赤爾何如。対曰。非曰能之。願学焉。宗廟之事。如会同。端章甫。願為小相焉。点爾何如。鼓瑟希。鏗爾。舎瑟而作。対曰。異乎三子者之撰。子曰。何傷乎。亦各言其志也。曰。莫春者。春服既成。冠者五六人。童子六七人。浴乎沂。風乎舞雩。詠而帰。夫子謂然歎曰。吾与点也。三子者出。曾晢後。曾晢曰。夫三子者之言何如。子曰。亦各言其志也已矣。曰。夫子何哂由。曰。為国以礼。其言不譲。是故哂之。唯求則非邦也与。安見方六七十。如五六十。而非邦也者。唯赤則非邦也与。宗廟会同。非諸侯而何。赤也為之小。孰能為之大。

(訓)子路、曾晢(そうせき)、冉有、公西華、侍坐す。子曰く、吾れ一日爾に長ずるを以て、吾れを以てする毋れ。居りては則ち曰く、吾れを知らざるなり、と。如し爾を知るものあらば、則ち何を以てせんや。子路、率爾(そつじ)として対えて曰く、千乗の国、大国の間に摂(はさ)まれ、これに加うるに師旅を以てし、これに因るに饑饉を以てす。由やこれを為(おさ)め、三年に及ぶ比(ころ)おい、勇ありて且つ方を知らしむべきなり。夫子、これを哂(わら)う。求、爾は何如(いかん)。対えて曰く。方、六、七十、如しくは五、六十、求やこれを為め、三年に及ぶ比おい、民を足らしむべし。其の礼楽の如きは、以て君子を俟(ま)たん。赤、爾は何如。対えて曰く、これを能くすると曰うには非ず。願わくはこれを学ばん。宗廟の事、如しくは会同に、端章甫(たんしょうほ)して、願わくは小相と為らん。点、爾は何如。瑟を鼓すること希なり。鏗爾として瑟を舎(お)いて作(た)つ。対えて曰く、乎三子者の撰に異なり。子曰く、何ぞ傷まんや。亦た各々其の志を言うなり。曰く、暮春には、春服既に成る。冠する者五、六人、童子六、七人、沂(き)に浴し、舞雩(ぶう)に風し、詠じて帰らん。夫子、謂然(きぜん)として歎じて曰く、吾れは点に与せん。三子者出づ。曾晢後る。曾晢曰く、夫の三子者の言は何如。子曰く、亦た各々其の志を言うのみ。曰く、夫子、何ぞ由を哂うや。曰く。国を為むるには礼を以てす。其の言譲らず。是の故にこれを哂う。唯だ求は則ち邦に非ざるか。安(いずく)んぞ方六、七十、如しくは五、六十にして、邦に非ざる者を見んや。唯だ赤は則ち邦に非ざるか。宗廟、会同は諸侯に非ずして何ぞ。赤やこれが小たらば、孰れか能くこれが大と為らん。

(新)子路、曾晢、冉有、公西華の四人が、陪席していた。子曰く、今日は私が先生だからと言って少しも遠慮しないで話をしてもらいたい。諸君は雑談の折にいつも口癖のように、自分の才能を認めて用いてくれる人がない、と言っているが、もし本当に登用される機会があったら、何をしたいと思うかね。子路が待ってましたとばかりに口を開いた。戦車千乗を常備する一流国家で、強国の間に介在し、戦争で疲弊したあと、饑饉があって困窮したとします。私がその政治を任されたなら、三年もたった頃には、再び活気を取り戻し、その上に同義を尊重する国家を育てあげて見たいと思います。聞いていた孔子が意味あり気に笑った。求や、お前はどうだ。対えて曰く、六、七十里四方、いや、もっと小さい五、六十里四方の地域で、私が政治を任されましたなら、三年も立った頃には、人民の生活を豊かにしてみせたいと存じます。もっとも文化程度の向上という点になると自信がありませんから、もっと立派なかたがおいでになることを期待します。子曰く、赤や、お前はどうだ。対えて曰く、私は自信があっていうのではありませんが、希望だけ申しますと、宗廟における祖先の祭りや、賓客が集まる会同の際などに、端の礼服を着、章甫の冠をつけて、礼儀を助ける小相の役を果したいと思います。子曰く、点や、お前はどうだ。すると曾晢はこれまで、瑟を膝の上にのせ、ぽつりぽつりと、かそけく弾いていたのであるが、この時それをかたりと音をさせて傍におき、形を改めて居ずまいを正し、対えて曰く、私の考えは今までの方々とは余りに違いますので、困ります。子曰く、一向に差支えないではないか。みなそれぞれに自分の抱負を言ってみるだけだ。曰く、春四月ともなれば、春の装いに着かえ、若者五、六人、子供六、七人をひきつれて遊山に出、沂水の川で浴(ゆあみ)し、舞雩の広場で風に吹かれ、歌を口ずさみながら帰ってきましょう。それを聞いた孔子が深い歎息をもらして、曰く、私は点に賛成だ。三人が退出したあと、曾晢だけ居残った。曾晢曰く、三人の言ったことを、どうお聞きになりましたか。子曰く、みなそれぞれに自分の抱負を言ってみただけだ。曰く、でも先生は何故、由を笑われたのですか。曰く、国を治めるには礼をもってすべきで、自分でもそう言いながら、あまり謙虚でないことを言い出したから、おかしくなったのだ。次に求の自任する職場は、ひとかどの独立国だな。六、七十里四方、もしくは五、六十里四方の地域と言えば、立派な独立国の外にない。次に赤の立場も独立国らしいな。宗廟があり、会同を行うという以上、それは天子につぐ諸侯のことでなくて何であろう。それに赤は遠慮して小相になると言っているが、赤が小相なら、いったい誰がその上に立つ大相になれるだろうか。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 一見して明らかなように、「論語」の中で最も長い章である。また孔子のゆたかな、あたたかい性格を示すものとして、大変有名な章である。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 一目では分かりません。修行が足りない。

 この章句は盍んぞ各々爾が志を言わざると似ていますが、今回は「もしかりに、諸君が世間から認められたとしたら」どうするか、という条件付きで志をいうところが異なり、また公冶長第五では顔回と子路、孔子の対比であるのに対して、子路、曾晢、冉有、公西華というメンバーが、それぞれお互いを意識しながら話しているという点に特徴があります。

 子路はまた出しゃばって先生から笑われ、おそらくそれをみた冉有はすこし控え目な言い方をしたのでしょう。あとで孔子から「謙虚さがない」と言われた子路ですが、公冶長第五孟武伯問では子路は千乗の国を治めるに足る、冉有は千戸の町で宰になれる、と言われていたので実力は十分に持っていて、しかし君子というものは自分からひけらかしたりしないものであると言うことなのでしょうね。


 曾晢はここにしか出てこない人物ですが、孔子晩年の心境によりそうように、老荘思想たっぷりの理想を語ります。気宇壮大な子路の言葉に対して、春の夕暮れの散歩など、どうでもいいことを言っているようでもありますが、経世済民だの礼法の学問だのといった俗世を超越した達観ではありましょう。孔子も、目に見える功名業績など吹き飛ばして、世を捨てるわけではなくて自由に生きる姿に賛成したのでしょう。


 ところで、

 四人の弟子が孔子に侍坐するには年齢順に並んでいたであろうから、子路に次いで曾晢が対えるはずであるのに瑟を鼓いていたから、孔子はまず冉有と公西華とに問うて後に曾晢に及んだのである。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 とありますが、さきほども引用した盍んぞ各々爾が志を言わざるでは「顔淵季路侍」云々となっていますから、必ずしもそうとは限らないと思います。子路が「率爾ながら」といい、後で曾晢が「先生はなぜ由を笑ったのですか」と子路を名前で呼んだので、曾晢が最年長説もあるのではないでしょうか。



 以上で、学問を志す者が尊ぶ『論語』下論、多く弟子の賢か不賢かを評する「先進」という第十一章は終わる。