蜀犬 日に吠ゆ

2010-01-04

[][][]蛇の章を読む(その3) 19:40 はてなブックマーク - 蛇の章を読む(その3) - 蜀犬 日に吠ゆ

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。


第一 蛇の章

一、蛇

八 走っても疾(はや)過ぎることなく、また遅れることもなく、すべてこの妄想*1をのり超えた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。


九 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「世間における一切のものは虚妄である」と知っている修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。


一〇 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って貪りを離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。


一一 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って愛欲を離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。


一二 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って憎悪を離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。


一三 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って迷妄を離れた修行者は*2、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 「走っても疾(はや)過ぎることなく、また遅れることもなく、すべてこの妄想をのり超えた修行者」とはどういうことでしょう。註によれば、「努力精励しすぎることもなく、また怠けることもなくの意。つまり中道の思想」云々。 それでもなお分かりにくいですが、心がつねに平静にある、ということでしょうか。そうして澄み切った目で眺めれば、妄想や雑念が消え去り、一切ものは妄執であるとわかる、と。一切のものが虚妄であると知れば、「貪り」「愛欲」「憎悪」「迷妄」を離れることができるというわけですか。

 理屈は分かるのですが、まずその、心の平静がねえ。むつかしいですなあ。

*1:訳者註:原語はPapancaであり、この語は漢訳仏典ではよく「戯論」と訳される。ヴェーダーンタ哲学では世界のひろがりの意味。しかし原始仏教経典では「妄想」の意味か。

*2:訳者註:以上の四つの詩句においては、それぞれ貪り(lobha)、憎悪(dosa =Skrt.dvesa)、迷妄(moba 愚癡)という三つの煩悩は、人間にとって根本的なものであるから、古来の仏教の学問では「貪・瞋・癡」という。ragaは愛し、むさぼり、執著すること、dosa は(1)嫌悪し、次に(2)憎悪し、さらに(3)打ちのめし害すること、moha とは、真実の姿を知らず、迷ってぼうとしていること。